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今日は鼻中隔延長(クローズ法)、鼻尖縮小術をお受けになられた患者さんのご紹介です。

術前のご希望としては団子鼻をすっきりさせたいというものでした。
ご希望の形態ということでお持ちいただいた写真を拝見すると鼻先が下がった方の鼻の形態を希望されていたためカウンセリングの結果、選択術式は鼻尖縮小術と鼻中隔延長術となりました。

上段:術前です。
下段:術後1週間後再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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術式はクローズ法で鼻尖縮小と鼻中隔延長術を行っています。鼻中隔延長に使用する軟骨は両耳より採取しています。
順調な経過です。

メイヨー兄弟の格言
Charles・H・Mayo
14.生理学者が再現に失敗した実験は、時々、病気がかわりにしてくれます。賢明な生理学者は病人を観察することから多くの問題の解決の鍵を得るのです。
William・J・Mayo
14.先生や本などからの教えは何を考えるかを人に指示しますが、もっとも重要なことはどう考えるかを学ぶことです。

2007-03-21

今日は鼻尖縮小術をお受けになられた患者さんのご紹介です。

上段:術前です。
下段:術後1週間後抜糸時再診時です(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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鼻先が丸いのが気になりやや鼻先を下に向けたいとのことでしたので鼻尖縮小術を行い鼻翼軟骨を一部鼻先に移植しています。

ご希望の形態になったとのことで順調な経過です。 遠路はるばるお疲れ様でした。

メイヨー兄弟の格言
Charles・H・Mayo
11.病気、あるいはそれに近いという診断は理にかなったものでなければいけませんがそれは医師の判断と経験にもとづくものです。
William・J・Mayo
11.長年医業に携わってきた私たちすべては熟練した手術手技をもっているということだけでは必ずしも彼らがよい外科医とはいえないということを理解していると思います。

2007-03-19

本日ご紹介の患者さんは鼻尖縮小術(オープン法)および小鼻縮小術をお受けになられた患者さんです。

上段:術前です
下段:術後一週間抜糸時です(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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正面から見てお鼻の穴を目立たなくしたいとのことだったので鼻翼軟骨の操作により鼻孔縁をやや下げています。

メイヨー兄弟の格言
Charles・H・Mayo
9.他のいくつかの国はアメリカの生活条件と大きく異なっていますし、医学は各国の社会制度下によって、それぞれの国の医療問題の解決がはかられているので、他の国の解決法をまねるのは馬鹿げています。
William・J・Mayo
9.経験は偉大な教師です。しかし残念ながら経験によって精神的な瘢痕が残ると、瘢痕組織はひきつれたままになります

2007-03-17

本日ご紹介の患者さんは鼻筋を高くしたい、団子鼻を解消したいとのご相談で御来院されカウンセリングの結果、船型プロテーゼによる隆鼻術と鼻尖縮小の手術をお受けになられました。

上段:術前です。
下段:術後一週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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再診時には目の周りの内出血がまだ完全にはひいていませんでしたがこれは序々に引いていきます。
プロテーゼを留置する場合は鼻骨上の骨膜を剥離して留置しますので同部位から内出血が目の方まで波及することがしばしばあります。順調な経過です。

皇紀2667.07.29追記:
術後約4ヶ月過ぎの本日上記写真を供覧した患者さんがいらっしゃいました。 後日の再診時に鼻根部が高すぎる、鼻先が細すぎるということでお悩みになられており再手術を御希望されました。術後早期の再手術は合併症(感染、皮膚状態の悪化、凹凸等)の招来の可能性が高いため半年近くはまっていただくお願いをしましたがその間耐えられないとのことで他院で約1ヶ月前に修正手術をお受けになられました。
現在癒着をはがした後が凹凸になりその加療が大変とのことでした。

私の手術が最初に患者さんにとって高すぎたり細すぎるものでなければそのような悩みがなかったことでしょう。 希望される鼻根の形態、鼻先の細さについてもっと細かく話をつめ、また鼻尖手術の結果は半年間は序々に変化していくということをしっかりとお互いに再三くどすぎるほど確認してから手術に望むべきだったと思います。 

ご満足いただけない手術結果であったことに対し美容外科医として深くお詫び申し上げます。 

メイヨー兄弟の格言
Charles・H・Mayo
8.私たちは周囲の環境に応じる能力で生きるだけでなく、周囲の環境に自分を順応させて生きるべきものです。
William・J・Mayo
8.一時的な関心を寄せて手に入れた絵で壁を覆うのではなく親密な関係を築き上げている書物で壁を覆うことの方がどんなによいかもしれません。絵に対してはいつか関心がなくなってしまいすが書物に対する愛着は決して消えないからです。

2007-03-15

今回はハイブリッドプロテーゼの患者さんのご紹介です。

鼻の手術には
鼻を高くする方法 としてヒアルロン酸、自家組織移植、プロテーゼ(L型、I型)
鼻先を下向きにする方法として 鼻中隔延長術、軟骨移植、L型プロテーゼに自家軟骨を合体させたhybrid prosthesis(ハイブリッド プロテーゼ)留置術 などがあります。

鼻先を下に下げたいというご希望にてカウンセリングの結果患者さんが選ばれた今回の手術方法はハイブリッドプロテーゼによる鼻先下降および鼻翼軟骨縫合によるプロテーゼの軟骨間落ち込み防止(これを行わないためにL型プロテーゼ留置後年月を経てプロテーゼが鼻翼軟骨間に落ち込みより団子鼻になってしまっているケースが多々あります)でした。

上段:術前です
下段:術後2週間再診時です (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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現時点では良好ですがとにかく心配なのがL型プロテーゼに生じやすい合併症です。
合併症として
1.感染(これはプロテーゼ全般にいえるリスクです)
2.L型プロテーゼの上方移動(鼻先が上向きに移動してくる可能性があります)
3.鼻尖部皮膚のの菲薄化(ひはくか:薄くなる事)
4.L型の脚の部分が鼻柱基部で違和感や痛みを起こす可能性
等のリスクがありこれらが心配です。
しかもこれらの合併症のやっかいなところは数年経て生じる可能性も充分あることです。
これらの合併症が生じた場合はいったんプロテーゼを抜去せざるを得ません。
(4に関してはL型の脚を短くする事で改善することがあります)

いつもL型プロテーゼを入れる場合はこれらの合併症がおこりませんように! と祈りながら手術を行っています。

今回もどうか合併症がおこりませんように!

お心遣いをいただきました。

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さくら風味のクッキーでした。 ありがとうございました。

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おいものケーキでした。 ありがとうございました。 
どうかお気を遣わないでください。 深謝いたします。

メイヨー兄弟の格言
Charles・H・Mayo
7.何か新しい問題を研究するときは、私たちはまず偉大な先人たちの仕事について目を通すことによって研究のめどがつくことがあります。
William・J・Mayo
7.研究論文を読むことは学習の目的であって我々がどれくらい知っているとか、やっているとかを示すことを目的としているのではありません。

2007-03-14

今日は1974年 に小野田寛郎(おのだ ひろお)氏がフィリピン・ルバング島から30年ぶりに日本に帰還した日になります。

大東亜戦争終戦の1945年8月を過ぎても任務解除の命令が届かなかった為、部下(赤津一等兵:1949年投降、島田庄一伍長:1954年5月7日戦死、小塚金七上等兵:1972年10月19日戦死)と共に戦闘を継続しました。最後の2年間は一人で戦っていました。
小野田氏は持久戦法をたてて米軍に挑み、島内にあったアメリカ軍レーダー基地への襲撃や狙撃、撹乱攻撃を繰り返し、友軍来援に備えて合計百数十回もの戦闘を展開しました。
1974年に一連の捜索活動の結果発見され、3月9日にかつての上司である谷口義美元少佐から任務解除命令が下り、小野田氏にとっての戦争は終わりました。翌3月10日にかけ、小野田氏は谷口元少佐にフィリピンの最新レーダー基地等の報告を行っています。小野田氏はフィリピン軍基地に着くとフィリピン軍司令官に軍刀を渡し、降伏意思を示しました。この時、小野田氏は処刑される覚悟だったと言われています。

小野田氏は日本に帰国後は大きく変わった日本社会に馴染めず、帰国の半年後に次兄の居るブラジルに移住して小野田牧場を経営を開始しました。帰国後結婚した妻の町枝氏と共に移住し、10年を経て牧場経営を成功させました。その後、凶悪な少年犯罪が多発する現代日本社会に心を痛めたとして『祖国のため健全な日本人を育成したい』と、サバイバル塾小野田自然塾を主宰されています。自らの密林での経験を元に逞しい日本人を育成するとして、講演会や野営等を行い、高齢ながらも日本とブラジルを往復し続けています。

さて今日は鼻尖手術を受けられた患者さんの術後経過です。
上段:術前です。
中段:術後一週間抜糸時です。
下段:術後約1ヵ月後再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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順調な経過です。

メイヨー兄弟の格言
Charles・H・Mayo
5.この話し合いでまっさきに考えるべきことは皆が一致したので、次に私たちがここに集まって考えようとしたテーマに移りましょう。それは人間の一生のうちで起こりうる最も重要な出来事は、人が誕生することだ、と認識することです。
William・J・Mayo
5.これまで、財産権が神聖なものと考えられてきましたが、人権はそれよりずっと軽くみられてきました。

2007-03-12

今日は102年前の1905年に日露戦争の奉天会戦で日本軍が勝利した日です。それを記念して陸軍記念日が制定されました。 62年前の1945年 のこの陸軍記念日に 東京大空襲 が米国によりなされました。8万人以上(10万人ともいわれる)が犠牲になり、焼失家屋は約27万8千戸に及び、東京の3分の1以上の面積(40平方キロメートル)が焼失しました。
爆撃の方法も日本家屋を焼き国土を焦土とするため焼夷弾(しょういだん)を用い左右を先に爆撃して炎の壁をつくり、その間に避難して炎に挟まれた群集を、後続の爆撃機でその炎の壁の間を爆撃して焼き殺すという戦法が採用されました。この東京大空襲で余った焼夷弾を落としていった空襲が平空襲(たいらくうしゅう)(福島県いわき市平)となります。 この平空襲では材木町、鍛治町、研町、紺屋町、梅本一帯が焼かれ死者12名、家屋500戸以上が炎上という被害がでました。

この一連の民間人無差別大量虐殺の立案、指揮をしたのが第21爆撃集団司令官カーチス・エマーソン・ルメイいわゆる鬼畜ルメイとなります。
大東亜戦争終戦後ルメイは戦略爆撃に精通し、また日本の防空体制の弱点(夜間防衛)を把握していたため日本の航空自衛隊創設に関与。1964年その功績により、日本政府より1964年勲一等旭日大綬章を授与されています。

第21爆撃集団司令官の前任者ヘイウッド・ハンセルが軍事施設にポイントをなるべく絞って精密爆撃を行っていたのに対し後任のルメイは無差別大量虐殺日本焦土作戦を行ったのにもかかわらずルメイに対し勲一等旭日大綬章を授与した当時の日本政府の判断に首を傾げざるをおえません。
国辱的行為だと思います。

さて今日は鼻尖縮小術(オープン法)をお受けになられた患者さんのご紹介です。
上段:術前です。
下段:術後一週間抜糸時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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鼻先を下げたいとの希望があったため鼻翼軟骨の移植を最初検討しましたが、鼻翼軟骨がよく発達しておりオープン法にて視野が良かったため一般的な鼻翼軟骨の移植ではなく(一般的な移植方法:軟骨を段々重ねにして一塊にして移植する方法は鼻先のシャープさを出しにくいのと鼻先の下げ幅が少ないという欠点があります)特殊な軟骨形成操作を行い鼻先を下げています。

昨日差し入れをいただきました。

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パール柑でした。 ありがとうございました。 深謝いたします。

Charles・H・Mayo
3.私がここで書いているのは、原則や理屈で頭がいっぱいの人のためではなく、技術や方法に関心を持っている人のためです。
William・J・Mayo
3.アメリカの医療体系はあまりにも幅広く多彩で、これが国中共通のものであるとはいい難いのです。しかしアメリカにおける医療には科学的精神があり科学に国境はありません。

2007-03-10 

最近、私がする手術に対して「なんでそんなに安いんですか? 安すぎて不安なんですが・・・」とよく聞かれます。

以前私がレジデントをしていた病院で救急部をローテーションしていたときにO先生という先生がいました。
その先生は愚痴ひとついわず朝から晩まで連日働きその博識さには私は度肝をぬかれていました。
救急部ですから事故等で運び込まれた人々が連日のようにお亡くなりになります。 人が亡くなるとき多くの場合は血圧が下がっていきだんだんと心臓の脈拍の間隔が伸びていって最期に心停止に至ります。 そして医師が瞳孔の対光反射、自発呼吸の有無、心臓の鼓動の有無を確認してそれらがないとなるとご臨終を告げることになります。 そしてなぜかお亡くなりになられるときは明け方ちょっと前が多いのです。
「この方はもうすぐ亡くなるな・・・」と大体の予想がつきますが脈が序々に伸びていって最期の心停止に至るまで時間がそれなりにかかりますから担当医は気を配りつつも心停止間際になるまで他のさまざまな仕事をしていることがほとんどです。
しかしO先生は夜中だろうと明け方だろうとずっと家族と共に患者さんに付き添いご臨終をみとっていました。 「先生、私が診ていますのでしばらくお休みになられたらどうですか?」と声をかけても「いや、いい。」 と動きません。

ある日彼に尋ねました。「先生、なぜずっと付き添っているのですか? 連日これだけの業務をこなしてクタクタのはずなのにいつ先生は寝ているのですか?」
彼は一言私にこう答えました。「世の中に僕みたいな医者が一人ぐらいいてもいいだろう。」

多くの医師に出会いましたがあれだけ博覧強記で名声を一切求めず自己を飾らず目の前の患者さんに全てをささげることができた医者は彼をおいて他はいませんでした。

日本全国には彼のような実直な医師達が散在していて医療現場の最前線を支えているのだと思います。 

そのような先生達の給与は労働時間とその責任と比較すると薄給だと思うのですが美容外科の求人を医療情報誌でみるとたいていそのような大変な科より給与が高めです。
美容外科は他科にくらべて急患が少なく、当直もなく、給与が高いとなれば一般的な感覚でいえば人気の科になるはずです。

しかし実際は人気がなくて人が集まらないから高額の給与を提示しているのが現実でしょう。

なぜ人気がないのか?  それは日本の医師達がまだまだマトモだからだと思います。 医師を目指した時の原点、病める人の一助となりたいという思いがあるからこそQOL(生活の質)の高さやお金だけでは動かない先生がまだまだ多いのだと思います。経験上マトモな医師ほど美容外科を胡散臭いものとして白い目でみる傾向にあります。 これは単なる偏見とかたづけられるものではなく実際美容外科側の問題がたくさんあります。 医師の脱税、不正請求、破廉恥な犯罪、シリコンジェル注入等による後遺症・・・マスコミに載るこれらの記事の中でなぜか美容外科医が多いのです。

今の日本の医療制度では保険制度のためどのような名医の処置でも保険組合から支払われるお金は凡医と一緒です。 しかし彼らの病気を治す技術や知識、経験が評判となり患者さんは集まってきます。 収入が増えるわけではなくともそれがやりがいとなり日本の一般の科の医師は頑張ります。

翻って日本の美容外科医はどうでしょうか? 

多くの美容外科手術の手技自体は実は一般の中堅どころの外科や整形外科、形成外科の医師が行う手術よりも難しくありません。 よく形成外科医が美容外科をやるのが適切という表記もみますが点滴用に静脈に針を刺すのに血管外科医が適切と表現するのと同じぐらい意味がないというかマトモな形成外科医にとってもいい迷惑だと思います。形成外科の医局によっては学会で美容外科のブースに近づいただけでも退局という医局があるぐらい美容外科がタブーな医局もあります。形成外科医が開業すると確かに開業医レベルでmicrosurgeryや皮弁移植等できないので勤務医からの天下り先として美容外科の領域を確保しておくというのは開業形成外科医にとっては大切な問題かもしれませんがそれは医師の生活の糧のために大切な問題であってまず第一に考えるべき患者さんのためではありません。

独立標榜科として存在する美容外科およびその恩恵を受ける日本国民のためにも私個人としては形成系、十仁系という枠組みを超えて美容外科学会が統合開催されてほしいのですがそれぞれの団体の権益争いのためにそうならないのが残念でなりません。

日本の美容外科の評判というのは美容外科手術に対する後ろめたさもあって公に語られることがありませんでした。 よって患者さんが選択するときの選択手段として宣伝広告に主に頼らざるを得ませんでした。
本来は患者さんは医師の技術を知り選ぶのが本来のあるべき姿ですが今までは誇大広告的な宣伝文句(広告で患者を集める=広告商法)や経歴(○○専門医との経歴で集める=経歴商法)、学位(○○博士との学位で権威付けて患者を集める=学位商法)、著作本(本を書いて宣伝する=バイブル商法)等しか患者さんが美容外科医を選ぶ判断基準がなく、美容外科医側もそれらを宣伝道具として患者集めをしていたのは美容外科の不幸な一面であったと思います。

しかし時代は変わりました。 今後はインターネットの普及と共に空虚な情報に基づいて医療機関が選択されるのではなく各々の美容外科医がインターネット上に晒した日々の臨床結果が閲覧、吟味される事により適切な医療機関が選択されていくことになると思います。この日本の美容医療を変えていくきっかけとなっていくであろう日々の臨床記録としてのブログへの写真提供をしてくださった患者さん方には深謝します。 一人一人のご協力が日本の美容医療をよりよい方向へ変えていくきっかけとなっていっていると思います。 将来、多くの美容外科医が日々の臨床を晒すようになった結果として今後私自身が美容外科医として淘汰されていくこととなっても全く後悔はありません。

美容外科手術はより自信と喜びに満ちた人生を歩む一助となれる幸福の医学である一面、人のコンプレックスや欲望に医療者側がつけこんでお金をむしりとることができる負の一面があります。

もちろん病気に対する医療も病気につけこんでお金をむしりとることのできる負の一面があるじゃないかといわれればそれまでですが、まだ日本の場合は保険制度のおかげで例え悪徳医にかかっても悪徳医は保険制度の悪用はすれども患者さんそのものの心理につけこんで患者さん自身から大金をせしめることは通常はないでしょう。

ところが美容外科に関してはそのような保護機構が働かないためコンプレックスや欲望の刺激され具合によって患者さん自身が大金をだしてしまうことになります。

私にとって美容外科は幸福の医学であり好きであってももやはり疾病を治す他科と比べればいくら美辞麗句を並べようとも医者の中では落ち武者の科だと思っています。

ただし落ち武者にも矜持(きょうじ)と美学があります。

人のコンプレックスやより美しくなりたいという欲望につけこむのは私の美学に反します。

幸福になるためにお役に立ちたいのであってつけ込みたくはないのです。

もちろん健全な医療の提供には健全な経営状態でないといけません。また希望する施術が高額で受けれない方々のためにも社会的に存在意義があるクリニックにする必要もあります。持ち出しになるわけにはいかないのですがそのためにもこの施術は値上げしてこの施術を値下げしよう・・・等スタッフからの提案等もおりまぜて可能な限り患者さんには施術を廉価で、勤務するスタッフには好待遇を提供することのできる医療機関になってくれればな・・・と思っています。 

全てを無から始めて自分が理想とする美容外科医療をダメもとでいいからやってみようと思ってやってきました。不審がる患者さんもたくさんいましたが少しずつご理解くださる患者さんが増えてきてくださってありがたく思います。

いつもあのO先生の「世の中に僕みたいな医者が一人ぐらいいてもいいだろう。」という言葉が頭をよぎります。

私が勤務するクリニックにはなぜかいい人々が集まります。 
いままでの病院生活では経験しなかったことです。自分でも不思議です。 よき患者さんとスタッフに囲まれ幸せです。

さて本日ご紹介の患者さんは鼻尖縮小術、耳軟骨移植術をお受けになられた患者さんです。

上段:術前です。
下段:術後一週間抜糸時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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鼻先を下げたいとのことで耳軟骨を利用し鼻先を下げるように移植しています。
順調な経過です。

差し入れを戴きました。

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ありがとうございます。 深謝いたします。

2007-03-05

最近患者さんによく聞かれる質問として[傷はどのくらいで治るのですか?」と聞かれます。
何をもって「治る」と定義するかによってその答えは変わります。
一般的に
抜糸だったら約6日後
化粧でて人前にでれることをさすのなら手術の大きさや侵襲の程度にもよりますが抜糸後〜2週間後
肉眼的レベルの治癒なら約半年後〜一年後
顕微鏡レベルの治癒なら一年〜二年後
となります。

傷が治るのにはそれなりに時間を要します。 また治るまでの間、一時的にコラーゲン等増殖して傷が固く膨らんでくる時期もあります。

あせらず傷をいたわり根気よくケアしていくことが綺麗な傷の治りに重要になります。

さて今日は鼻尖縮小術、鼻中隔延長術、小鼻縮小術をお受けになられた患者さんのご紹介です。
2年前に他院にてL型プロテーゼおよび鼻尖縮小術をお受けになられていた既往があります。
その鼻尖縮小術では効果が感じられず、鼻先も下げて鼻孔を目立たなくしたいとのことで今回の術式の選択となりました。

上段:術前です。
中段:術後5日目です。
下段:術後7日目です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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鼻中隔延長術は鼻先を下げるにはよい手術なのですが移植した耳介軟骨や肋軟骨が将来変形してこないという保証がありません。
そこが欠点となります。
どうかきれいな鼻でずっといますように!

2007-03-04

今日は日本耳鼻咽喉科学会が1956年に制定した「耳の日」の日です。1948年に松江聾学校長だった今西孝雄先生が最初に発案したといわれています。

今日は電話機を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルの誕生日でもありまさに「耳」の日と言えるかもしれません。

さて本日ご紹介の患者さんは鼻中隔延長術および鼻尖縮小術をお受けになられました。
上段:術前です。
下段:術後一週間抜糸時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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鼻先が希望の細さより細いことを気にされていますがこれは序々に改善していきます。

本日差し入れをいただきました。

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深謝いたします。

北海道のお土産とのことです。

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「メタボリックなお土産ですが・・・」と一言添えられていただきました。中をみると確かに・・・・・。中性脂肪値の上昇にはよさそうです。
後で北海道出身のスタッフから聞いて知ったのですがこの中の「じゃがポックル」という商品は北海道では人気大爆発ですぐ売切れてしまう商品だそうです。 ためしに食べてみると・・おいしかったです。

ありがとうございました。 深謝いたします。

2007-03-03

今日は1932年 に満州国の建国が宣言され、その10年後の 1942年 にバタビア沖海戦で、日本海軍が連合軍艦隊に勝利し、インドネシア方面の連合軍艦隊が壊滅した日となります。

そのバタビア沖海戦の12年後の1954年3月1日に第五福竜丸が米国のビキニ環礁の水爆実験によって発生した多量の放射性降下物を浴び無線長久保山愛吉氏がこの半年後の9月23日に急性放射能症で死亡しました。現在は第五福竜丸は東京夢の島の第五福竜丸展示館に展示されています。

さて今日は鼻尖縮小術、鼻中隔延長術、小鼻縮小術をお受けになられた患者さんのご紹介です。
2年前に他院にてL型プロテーゼおよび鼻尖縮小術をお受けになられていた既往があります。
その鼻尖縮小術では効果が感じられず、鼻先も下げて鼻孔を目立たなくしたいとのことで今回の術式の選択となりました。

上段:術前です。
下段:術後5日目です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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順調な経過です。

2007-03-01

今日はインドネシア・スラバヤ沖で日本軍のジャワ島攻略部隊を連合軍が迎撃したスバラヤ沖海戦に日本海軍が勝利した日です。

さて今日は鼻尖縮小術をお受けになられた患者さんのご紹介です。
一列目:術前です。
二列目:術後一週間後です。
三列目:術後約三週間後です。
四列目:術後約1.5ヵ月後です。

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順調な経過です。

先日差し入れを頂きました。

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「ゆかり」というえびのおせんべいでした。 おいしかったです。 ありがとうございました。

2007-02-27

今日はあのあまりにも有名な2.26事件が起こった日です。

1936年2月26日大日本帝国陸軍の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校らは、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、腐敗が収束すると考えていました。

この事件は結局制圧されますが、この青年将校たちに多大なる精神的バックボーンとなったのが北 一輝(「きた いっき」として有名。 正しくは「ほく いっき」)の「日本改造法案大綱」になります。

2.26事件に関し北は計画自体を知っていたものの、時期尚早であると慎重な態度を取っており、指揮等の直接関与は行っていなかったとされています。真崎甚三郎大将ら皇道派の黒幕が予備役退役の処分で済んだのと較べると北は理論的首謀者とされ、愛弟子の西田税とともに極めて重い処分である死刑となり処刑されました。

さて本日ご紹介する患者さんは他院で今まで
外側法小鼻縮小術、内側法小鼻縮小術、プチ小鼻形成術!?(鼻翼内面の粘膜切除縫合によるもののようです)、プロテーゼによる隆鼻術の計4回の鼻の手術をおうけになられてきました。
私のところへ御来院された時のご相談としては「これ以上小さくすることは可能でしょうか?平べったい感じを変えたい」というものでした。

上段:術前です。
下段:術後一週間抜糸後です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)


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診察を行うと鼻先が丸く鼻翼基部の広がりが強いため鼻尖縮小術と内側法小鼻縮小術の併用手術を行うことを提案したところご納得されたため手術を施行しました。
術中所見としてはL型プロテーゼの頭部が鼻翼軟骨の間にはまり込むようになっていたためこれを切除し船型プロテーゼとしました。

余談ですが中途半端な脚の長さであるL型プロテーゼは鼻翼軟骨に乗っかる形となり時間とともに鼻翼軟骨の間に落ち込み団子鼻を形成する原因となります。
よくL型プロテーゼをいれてから団子鼻になったというかたはこのケースになります。

術後一週間目再診時ではまだまだ鼻孔も狭いですがこれはある程度改善していきます。

2007-02-26

今日は1905年に竹島が島根県に編入されたことを記念して島根県が2005年に制定した「竹島の日 」です。1952年(昭和27年)1月18日の韓国の一方的な李承晩ライン(りしょうばんライン)の宣言により竹島が韓国領とされました。この海域の日本人漁船を一方的に取り締まったため1965年(昭和40年)の日韓漁業協定が成立するまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3,929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人を数えました。

残念ながら現在韓国政府に不法占有されていますがこれはいつか国際司法裁判所で審理が行われることを願ってやみません。

今日は同時に1932年2月22日上海事変における敵陣地の鉄条網に突撃路を築くため、点火した破壊筒をもって敵陣に突入爆破し、自らも爆死した有名な爆弾三勇士の命日です。
彼らの勇気に当時の日本中が沸き起こり国定教科書にまで載りましたが戦後は軍国主義の象徴逸話とされ忘れ去られました。 

さて今回は先日ご紹介した鼻中隔延長、鼻尖縮小、小鼻縮小をお受けになられた患者さんの術後3.5ヵ月後検診時の経過のご紹介です。

一列目:術前です
二列目:術後1週間再診時です
三列目:術後約3週間後再診時です
四列目:術後約3.5ヶ月後再診時です(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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斜め前から撮影した写真です。
上段:術前です。
下段:術後約3.5ヶ月後再診時です(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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順調な経過です。

2007-02-22 

今日は今から99年前の1908年 に米国への日本人移民に関する日米紳士協約が締結された日です。その24年後の1932年 に日本が満洲国独立を宣言した日でもあります。

1893年、サンフランシスコの市教育委員会は市内の公立学校は日本人生徒の入学を拒否するべきという決議をしました。この決議は当時の日本領事珍田捨巳らの運動によってなんとか取り消されましたが、日本人排斥の動きはその後も活発になっていきました。
1901年、カリフォルニア州とネバダ州の州議会が「日系移民を制限せよ」との建議書を中央議会に送りました。1905年にはサンフランシスコに「日韓人排斥協会(The Japanese and Korean Exclusion League)」が組織され(のち「アジア人排斥協会(The Asiatic Exclusion League)」に改名)、日系移民に注がれる視線はいよいよ厳しさを増していきました。
1906年、またしてもサンフランシスコ学務局で日本人生徒を公立小学校から隔離し、中国人学校に編入させるという決定がなされました。
1907年3月、ルーズベルトは大統領令(Executive Order)を発布、ハワイ・メキシコ・カナダからの日本人の転航移民を禁止するとしました。この大統領令の背後にはサンフランシスコの学童隔離問題は結局のところ排日世論が形をとったものであり、移民制限をするしか解決策がない、と米国政府が考えていた事によるとされています。

アメリカにおける日本人移民排斥の動きが日本の体面を傷つけることを恐れた日本政府は1908年、日米紳士協約(Gentleman’s Agreement)なる取り決めを米政府と結ぶこととなります。

一般の観光旅行者や学生など以外の日本人にアメリカ行き旅券を発行しない、すなわち日本人労働者にパスポート発行を停止するという協約でした。

この協約と引き換えによりルーズベルトは日本人児童隔離命令を撤回させます。

しかしその後も1913年カリフォルニア州ではいわゆる外国人土地法が成立し日本人移民は土地所有が禁止され1924年5月26日にはいわゆる排日移民法が米国連邦議会で審議され成立しました。その5日後の5月31日、赤坂のアメリカ大使館脇で、ある日本人が抗議の割腹自決をしています。

アメリカが連邦レベルで移民・帰化関連法規を改正し、人種的制限を撤廃するのは大東亜戦争終結7年後の1952年、カリフォルニア州で人種による土地所有・賃借の制限が消滅するのは大東亜戦争終結12年後の1957年のことでした。



1919年2月13日国際連盟規約委員会にて当時常任理事国であった日本が提案した
人種あるいは国籍如何(いかん)により法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す と言う条項、いわゆる

「人種差別撤廃条項」

が採択されていたら歴史は大きく変わっていたかもしれません。

ペリーの開国要求から始まり尊厳を踏みにじられ続けて当時の多くの日本人の深層心理が「対米決戦やむなし」と思っていたと思われます。それが大東亜戦争開戦の判断をさせた一遠因になっていたことでしょう。


さて今日は鼻尖縮小術後(オープン法)の患者さんのご紹介です。
上段:術前です。
中断;術後一週間目再診時です。
下段:術後三週間目再診時です。 (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)


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順調な経過です。 オープン法の傷がやや赤いですがこれは半年かけてだんだんと目立たなくなっていきます。

2007-02-18 

今日は1945年 に 米英軍による独逸のドレスデン無差別爆撃大空襲の日です。爆撃でドレスデンの85%が破壊され、3万とも15万とも言われる一般市民が死亡しました(3月10日の東京大空襲では8万〜10万人死亡)。第二次世界大戦中に行われた都市に対する空襲の中でも最大規模のものといわれています。

ドレスデンには目だった軍施設もなく、「エルベ河畔のフィレンツェ」の別名のとおりドイツ最高のバロック様式の美しい街並みと数多くの文化財が知られており、人々はドイツの中でも“ドレスデンだけは空襲に逢うことはない”と信じていました。また無防備都市宣言をしていたため、ドイツ軍も空襲に対してはほとんど無警戒であり高射砲などの兵器は備えていませんでした。

この無防備都市宣言とは1899年、ジュネーヴ条約追加第1議定書の規定の前身にあたるハーグ陸戦条約の第25条に「無防備都市、集落、住宅、建物はいかなる手段をもってしても、これを攻撃、砲撃することを禁ず」と定めらたものから由来しています。

2月14日がくるたびにドレステン大空襲、東京大空襲、広島長崎原爆投下等無差別大量虐殺を組織的に行った連合軍が極東軍事裁判で日本に対して一方的な諸判決を下した理不尽さを思い出さずにはいられません。

さて今日は鼻尖縮小術(オープン法)の患者さんのご紹介です。
上段:術前です。
下段:術後一週間抜糸時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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もとから入っていたL型プロテーゼの先端を切除し船形にしています。鼻尖先端部には鼻翼軟骨を一部切除したものの移植および鼻翼軟骨そのものの形成を行っています(これを行わず鼻翼軟骨を縛るだけですと正面からみて細くなっても側面からみて鼻の先端がかなり丸っこい感じになってしまいます。)
経過としては順調です。

今日は差し入れをいくつかいただきました。

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お心遣いありがとうございます。 深謝いたします。

2007-02-14

今日は1919年2月13日国際連盟規約委員会にて当時常任理事国であった日本が
「人種あるいは国籍如何(いかん)により法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す と言う条項」 、いわゆる
「人種差別撤廃条項」 を提案した日です。 この国際的にも先進的な発案である同案は、16票中11票の賛成多数だったにも関わらず、議長であったウィルソン・米国大統領が突如として、「重要案件は全会一致でなければならない」等として勝手にルールを変更し、不採択を宣言、日本提案の「人種差別撤廃条項」は「幻の第15条」として葬り去られてしまいました。

本日は鼻尖縮小術(クローズ法)、鼻先軟骨移植、鼻孔縁挙上、舟型(I型)プロテーゼ隆鼻術をお受けになられた患者さんのご紹介です。

術前のカウンセリングで希望の形態の例としてある方のお鼻の写真をお持ちになりました。

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上記写真は患者さんが見せてくださった方と同じ方の鼻です。 写真の撮り方や表情によって多少の変化はありますが要点はこの方のように正面からみて鼻先を下ろしたいとのことでした。また側面も似た感じにしたいとのことでした。しかしこの方の鼻孔縁中央部から前方にかけてはかなり上がっているほうなのでそこまでは上げたくはないとのご要望でした。

診察の結果 プランは船型(I型)プロテーゼ、クローズ法による鼻尖縮小術、鼻先軟骨移植、鼻孔縁挙上を行うと近似した形態になるだろうと判断し方法をご説明したところ御希望されたため鼻根部に入れていたヒアルロン酸を手術予定日一週間前に分解注射で消失させた後、手術となりました。

上段:術前です。
中段:術後一週間抜糸再診時です。
下段:術後二週間目再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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術後経過として外観形態に関してはご満足されているとのことですが次の2点についてご相談を受けました。
1.鼻ですばやく吸気を行うと鼻の孔が小さくなったせいか鼻翼が鼻孔を閉じるようにひっこむようになったため急に鼻で息を吸いづらい
2.もっと鼻翼の肉を薄くしたい。

上記2点に関しましては現時点では早急に解決する方法がないのとまだ術後2週間で鼻翼も腫れが残存している点をお話し経過観察させていただくこととなりました。

2007-02-13 

今日はペニシリン記念日です。 1941年2月12日に、イギリスのオックスフォード大学附属病院が、世界で初めてペニシリンの臨床実験に成功したことに由来しています。
このペニシリンの発見は1929年、フレミングがブドウ球菌の培養実験中にコンタミネーション(汚染)により生じたアオカビ(Penicillium notatum)のコロニーの周囲に阻止円(ブドウ球菌の生育が阻止される領域)が生じる現象を発見したことに端を発しています。このペニシリンの発見によって多くの人命が救われることとなりました。
日本では1944(昭和19)年、日本陸軍医学校と森永製菓が共同でペニシリンの開発に着手し、国産ペニシリン「碧素(ヘキソ)一号」を完成し戦争で傷ついた人々を救ったとされていますが実際は施設が空爆により破壊され生産量が非常に少なく恩恵を受けれた人々は少なかったようです。

第二次大戦中のこのころ、連合軍には急を要した開発テーマが3つありました。
レーダー、原子爆弾、そしてペニシリンの3つです。
なぜペニシリンかといえぱ、当時、戦死の直接の死因のほとんどは、実は負傷後の破傷風などの細菌感染によるものだったからです。

昭和18年12月に一隻の潜水艦が、同盟国ドイツから極秘裏に日本に帰港しました。この潜水艦が持ち帰った機密資料のなかに、一冊のドイツの医学雑誌『フォーチュン』がありました。雑誌中の小さな記事に着目した、時の軍医少佐・稲垣克彦は、当時東京帝大バイ菌学教室の助手であった梅沢浜夫に、記事を直ちに和訳するよう要求したのです。その記事とは、ベルリン大学のキーゼ教授による“Penicillin(ペニシリン)”なるものの臨床報告でした。

事の重大さに気が付いた稲垣軍医は軍上層部に国家プロジェクトによるペニシリン開発を進言するも黙殺されました。

昭和19年1月27日、朝日新聞の海外特派員からの記事が一面を飾りました。「敵英国のチャーチル首相、新薬ペニシリンで救命す」。肺炎で倒れたチャーチルが、ペニシリンによって奇跡的に救命したという情報であり、のちにこの記事は投与された薬はぺニシリンではないことがわかったのですがこの誤報によって、稲垣軍医の進言したプロジェクトは着手されることとなりその8ヶ月後に国産ペニシリン「碧素(ヘキソ)一号」が完成されたのです。

現在の日本は世界の抗生物質生産のおよそ3分の1を占める抗生物質生産大国となっています。

ペニシリンを最初に発見したフレミングの偉大さとそれを日本に導入し多くの日本兵士の命を救うきっかけを作った稲垣軍医に敬意を表したいと思います。

今日のご紹介の患者さんは鼻尖手術をお受けになられた患者さんです。
上段:術前です。
下段:術後一週間抜糸時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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鼻先を正面からみて下げたいとのご希望があり鼻翼軟骨を移植し鼻先を下げています。
もともと左右の鼻の穴の形態が異なっていたのでなるべく同じ形になるように軟骨の微調整を行っています。
ギプスを外した直後なのでやや細すぎる印象がありますが時間の経過とともに改善します。
鼻先はやや腫れていますがこれも時間の経過とともに改善していきます。

本日差し入れを頂きました。

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チョコレートとおせんべいでした。 ありがとうございました。 深謝いたします。

2007-02-12

今日は今から遡る事103年前の1904年 に日本政府がロシアに国交断絶を通告した日です。その4日後の2月10日に宣戦布告し日露戦争が勃発しています。
日露戦争は辛勝しましたが大東亜戦争の終戦直前に日ソ中立条約を一方的に破棄して侵略してきたソ連に北方領土を占領され現在にまで至っています。
明日はその北方領土の日です。


さて本日ご紹介の患者さんは鼻尖縮小術をお受けになられた患者さんのご紹介です。

術前のカウンセリングで希望の形態の例としてある方のお鼻の写真をお持ちになりました。

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上記写真は患者さんが見せてくださった方と同じ方の鼻です。 写真の撮り方や表情によって多少の変化はありますが要点はこの方のように正面からみて鼻先を下ろしたいとのことでした。また側面も似た感じにしたいとのことでした。しかしこの方の鼻孔縁中央部から前方にかけてはかなり上がっているほうなのでそこまでは上げたくはないとのご要望でした。

診察の結果 プランは船型(I型)プロテーゼ、クローズ法による鼻尖縮小術、鼻先軟骨移植、鼻孔縁挙上を行うと近似した形態になるだろうと判断し方法をご説明したところ御希望されたため鼻根部に入れていたヒアルロン酸を手術予定日一週間前に分解注射で消失させた後、手術となりました。

上段:術前です。
下段:術後一週間抜糸再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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鼻根部は御希望の写真の方のようにやや段差をつけたいとのことだったのでそのようにプロテーゼを調整していますが現在は腫れのためはっきりしていません。時間が経って腫れが引いてくれば御希望の写真の方のような感じになると思います。 抜糸までの間お疲れ様でした。

2007-02-06

今日は鼻尖縮小術の患者さんをご紹介します。

上段:術前です。
下段:術後一週間抜糸時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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オープン法で行っています。鼻翼軟骨を一部切除し鼻先に移植しています。 正面からみて鼻口唇角部分が食い込んだ感じがあったので改善するべく鼻翼軟骨の間にある脂肪組織等を同部位に移植しています。

2007-02-04 

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