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先日海上自衛隊で格闘訓練中の男性が死亡したとのニュースを耳にしました。
 
ある女性医師のコメンテーターが「急性硬膜下血腫になるには相当な衝撃が必要です。なぜそんなひどい衝撃が加わるほどの力で殴ったのでしょうか?」とコメントしていましたがパンチがあたって後頭部を打って急性硬膜下血腫になったとの情報からは一概に強い力でなぐったとは言えないと思います。
 
軽く顎先を引っかけるだけのパンチでも頚椎を軸に顎先からのモーメント作用で脳震盪を起こします。 頬骨やエラに打ち込まれるパンチはそれなりに重くても耐えることができでも顎先をひっかけるような軽いパンチにいとも簡単にやられてしまうことは格技をやっている者なら体感事項です。脳震盪を起こして立位を保てなくなり転倒して頭部を床にしたたかに打ちつければ急性硬膜下血腫を引き起こすでしょう。
 
本当にシゴキでやったのか偶発的な事故なのか第三者の私にはわかりませんがその医師がもっともらしくいかにも海上自衛隊のシゴキのごとくコメントしているのが不快でした。
 
詳細の事情がわからないことにはコメントしようがない。 これが事実だと思います。
特に自身の専門領域に関してはマスコミにおけるその発言は社会的責任を負いますので深慮を経た発言をしなければならないと思います。
 
最近とみに他院の手術結果についてメール等でご相談をうけますが「コメントがしようがない」の現実です。
 
結果論だけで判断することはしてはいけないと思います。 それぞれの医師、患者さんの間でのやりとりがありそれに対しメールで結果だけを見聞きしそれに対して安易に容喙(ようかい)することは職責上できません。 ご理解ください。
 
 
本日ご紹介の患者さんは他院にて留置した鼻プロテーゼが右に変位しているのでそれを直してより太く高くしたいとのご希望にて入替術をお受けになられた患者さんです。
 
写真:術前です。 (写真は患者さんのSBM承諾を得て供覧してます)


プロテーゼの変位を防止するために中心位に固定糸を留置して術後約5日程度で抜糸予定でしたが術後2週間以上も経ているのに再診にいらしておりません。
電話連絡もつかず事故にあわれたのか他院で抜糸されたのか否かも定かでありません。
どうかご無事でいらっしゃいますように。 再診お待ちしております。

2008-10-15

今日は2006年に日本人拉致事件を引き起こした北朝鮮が北朝鮮初の核実験を行った日になります。
 
 
本日ご紹介の患者さんは小鼻肉厚減幅術、鼻孔縁挙上術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後5ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
順調な経過です。
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。どうか御気を遣わないでください。

2008-10-09

今日は13歳のときに北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが44歳の誕生日を迎えた日になります。 横田めぐみさんのご存命と一刻も早く拉致問題解決を願います。
 
本日ご紹介の患者さんは以前他院にてL型プロテーゼ隆鼻術をお受けになられた既往があり、今回鼻プロテーゼ入れ替え術(L→I)、鼻尖縮小術(クローズ法)、鼻先軟骨移植術をお受けになられました。
 
上段:術前です。
下段:術後3ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)


術前より薄いプロテーゼに入れ替えたのですがもっと薄くしたほうがよいのではいかとご検討中です。 

2008-10-05

本日ご紹介の患者さんは小鼻縮小術、鼻翼基部プロテーゼ留置術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前普通時と希望の形態をご自身の手で作っていただいた状態です。
下段:術後1週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)


やって良かったです。 とのことで順調な経過です。

2008-10-04

一昨年の8月16日に北方領土でわが国の漁船がロシアの警備艇に銃撃を受け盛田光広さんが銃殺され残り3人の乗組員が拿捕された事件は衝撃的でした。一昨年の本日坂下船長が無事帰還されました。
 
思えばこの北方領土問題は終戦時に端を発しています。「日ソ中立条約」の有効期限内(1946年4月25日失効)の1945年8月9日に攻め入られ終戦時、ソ連の占領した満州、樺太、千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいましたが、このうち約107万人が終戦後シベリアやソ連各地に送られ強制労働させられたと見られています。  そのうち戦後4年間で約34万人が死亡したといわれています。 かつてそれだけの犠牲者をだしかつ現代でも非武装民間人に死者を出すロシアに憤りを感じます。
 
シベリア抑留の悲惨さについては帰還者から様々な本がでていますが目でみてわかりやすい展示場として新宿住友ビル31階に平和祈念展示資料館がありお勧めです。
 
今でも本来のわが国の領土でかつ非武装の漁民が銃殺されるとはとんでもないことです。
 
わが国は北は択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島、をロシアに日本海においては竹島を韓国に不法占拠されていますがあまり学校教育でこれらの問題に触れないのが不思議です(私がいた学校だけかもしれませんが)。 すくなくともかつてクリニックの採用試験でこれらの島の振りカナをふってもらったところ全正解者がでなかったことやその島の存在すら知らない人達が結構いるのには愕然としました。
 
留学先でであったロシア人は『剽悍、かつ狡猾』という表現が適切な人が多かったです(偏見かも知れませんが・・でも偏見をもたないように接したつもりです)。
北方領土についても口角に泡を飛ばして自国の正当性を主張してきます。
こちらも負けじとがんばりますが結構他の同胞日本人がにんやり笑って口を閉ざしてしまうのは残念でした。 もちろん日本人的感覚からいえば大人げないといえば大人げないのですが相手はロシア人ですからきちんと主張するところは主張しなければいけません。
 
学校義務教育も英語教育なんかは「Hello John! 」とかの英語会話教育よりも北方領土や竹島問題について英語教材を用いてみっちり仕込んで将来、国際的な環境に身を投じたときに日本人としてたじろがない教養と知識をつけてくれていたらとしばしば思いました。
 
国際司法裁判所に上記島々の問題の裁定を訴え出ることができないのが国際社会の法のあり方の難しいところでしょう。しかし政治家や法曹の方々には積極的にこれらの問題にとりくんでいただきたく思います。 
 
 
本日ご紹介の患者さんは人中短縮術をお受けになられた患者さんです。
上段:術前です。
下段:術後1週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)


「傷口が目立たなくてびっくりしました。思っていたよりきれいで心配などはありません。」とのことですが、実は「剥がしちゃ駄目!」というテープを勝手に術後3日目には剥がしてそこに化粧を塗りこんでいた悪い子ちゃんでした。
「そんなことしたらせっかくキレイに縫合したキズが汚くなるから駄目!!」と厳重注意しましたがそのせいかその後2ヶ月以上再診にいらしていません。

怒ってないから再診にきてください。 キレイになっていただきたい。 それだけです。
キズのアフターケアは重要です。

2008-10-03

本日ご紹介の患者さんは人中短縮術後に鼻翼基部プロテーゼ留置術をお受けになられた患者さんです。

 

上段:術前です。
下段:人中短縮術術後約半年、鼻翼基部プロテーゼ留置術術後約数ヶ月再診時です。
(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
術後半年を経てお傷も以前と比較してほぼ目立たなくなってきて順調な経過です。
2008-09-28
本日御紹介の患者さんは鼻プロテーゼ留置術、小鼻縮小術、鼻翼基部プロテーゼ、顎プロテーゼ、額アパタイト形成術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後4ヶ月再診時です。(写真は患者さんの御同意を得て供覧しています。)
額は最初プロテーゼで形成しましたが、プロテーゼの輪郭が気になるとのことで三ヶ月前にアパタイトにて形成術を再手術を行い順調な経過です。
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を使わないでください。
2008-09-21

今日は1931年 に満州事変の発端となる南満州鉄道線路上で爆発事件(いわゆる柳条湖事件)がおきた日になります。
 
本日ご紹介の患者さんは一年前他院にてI型プロテーゼ隆鼻術を受けた既往があり、今回のご依頼内容は鼻先を高くして持参写真の方々のような鼻になりたいとのことでした。
 
カウンセリングの結果、鼻尖縮小術、小鼻縮小術、鼻尖部軟骨移植術をお受けになられました。
 
上段:術前です。
中段:持参写真の方々の鼻です。
下段:術後1ヶ月再診時です。
笑ったりするとまだひきつり感があるとのことです。
術後3ヶ月を経て徐々に馴染んできて手術の完成時期術後半年頃にはすっかり馴染んでいると思います。
 
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないで下さい。

2008-09-18

今日は1890年 に 和歌山県串本沖でオスマン帝国(トルコ)の軍艦エルトゥールル号が遭難した日になります。この遭難により587名が死亡69名が救出されました。その後この生存者達は10月5日に東京の品川湾から出航した日本海軍の「比叡」「金剛」2隻により翌1891年(明治24年)1月2日にオスマン帝国の首都イスタンブルに送り届けられました。
 
時は流れて1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から48時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって宣言しました。イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かいましたが、どの飛行機も満席で乗ることができませんでした。世界各国は自国民の救出をするために救援機を出しましたが、日本政府は国内法上の問題もあり自衛隊機もだせず、また民間機も送ることができず空港にいた日本人は絶望的状況にありました。  そこに2機のトルコ航空の飛行機が到着しました。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立ちました 。タイムリミットの、1時間15分前のことでした。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかったといわれています。この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られました「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」
 
 
本日ご紹介の患者さんは鼻尖縮小術(クローズ法)、軟骨移植術をお受けになられた患者さんです。
上段:術前です。
下段:術後約2ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
まだ一部鼻先が硬いですがこれは術後半年経て徐々に改善していきます。
順調な経過です。
 
先日お子心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないで下さい。

2008-09-16

本日ご紹介の患者さんは鼻尖縮小術(クローズ法)をお受けになられて一年後再診の患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後一年再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
ご本人としては戻った気がするとの事で再手術をしたいとのことでした。
 
これ以上細くする処置をすると鼻の表面に凹凸が生じる可能性があるので慎重に判断なさってください。
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないで下さい。

2008-09-09

今日は1943年に日独伊三国同盟の同盟国であったイタリアが連合国への降伏を受諾した日になります。
また1951年に日米安保条約が調印された日になります。

本日ご紹介の患者さんは鼻翼基部の食い込んだ印象に対して鼻翼基部プロテーゼ、鼻を小さくしたいとの御希望に対して鼻尖縮小術、小鼻縮小術をお受けになられた患者さんです。

上段:術前です。
下段:術後2ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)


「順調です。」とのことで順調な経過です。


先日お心遣いをいただきました。

山梨のぶどうでした。 深謝いたします。 どうか御気を遣わないで下さい。

2008-09-08

本日ご紹介の患者さんは正面から見える鼻孔を目立たなくしたい、横から見たときにブタ鼻に見えないようにとの御希望にてご相談にこられた患者さんです。
鼻中隔延長術を行っている他の美容外科にて相談するも「無理でしょう。」と断られたとの事でした。 実際診察を行うと皮膚は厚く、鼻全体が硬く、指で鼻先をおしさげてようとしてもほとんど下がらず他院の先生のご判断と同様に私にも手術はかなり困難に思われました。 しかし強い御希望にて最終的にカウンセリングの結果、お鼻に対して鼻中隔延長術(肋軟骨使用)、鼻尖縮小術、鼻孔縁延長(下降)術、鼻プロテーゼ留置術をお受けになられました。
  
上段:術前です。
下段:術後1ヵ月後再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
(お鼻が)「もっと細くなりたいです。」とのことでした。 
強度的な問題よりこれ以上鼻先を細くするのは危険と術中判断したためこの細さになっています。 私としては現時点ではこれ以上細くしたいとの御希望ににお応えすることができません。 半年から一年経て手術部が治癒し全体の組織が柔らかくなった時点でまだその御希望がおありなら検討しましょう。
 
 
 
鼻中隔延長術のリスク
1.鼻先がゆがむ可能性
2.鼻中隔軟骨に移植した軟骨の体積にて鼻腔が狭くなり下からみると鼻中隔が膨らんでみえたり呼吸がしずらくなる可能性(他院で手術されてこの症状でお悩みの方々が何人も相談にこられています。)
3.時間を経てから鼻先の皮膚が薄くなる可能性(鼻先の皮膚の下が軟骨だからといってプロテーゼと異なり安全という保証はないと思います。)
4.採軟骨部(耳や肋骨部)の傷
5.鼻先が下がりすぎ、高くなりすぎという不満が生じる可能性または下がり足りないという不満が生じる可能性。
6.限界まで鼻先を下げて欲しいとの患者さんの希望に対してオープン法でそれに応えるべく手術を行うと創部の血流不良にて癒合不全、感染が生じる可能性。
2008-09-06
今日は1959年 ハワイがアメリカ合衆国50番目の州となり、これに伴い星条旗のデザインが現行のものに変更された日になります。(それまでは49州だったため、星の部分が7x7になっていました)
 
本日ご紹介の患者さんはアパタイト額形成術、鼻プロテーゼ、鼻尖縮小術、鼻翼基部プロテーゼ(ほうれい線プロテーゼ)、顎プロテーゼ 留置術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
中段:術後1ヶ月再診時です。
下段:術後2ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
鼻翼基部プロテーゼと顎プロテーゼは口元を上品にみせる働きがあり順調な経過です。
 
術後一ヶ月のときには腫れていてはっきりしなかったアパタイトの隆起がはっきりしてきて気になられるとのことで輪郭をぼかすためにヒアルロン酸SubQを用いた修正術を行うこととなりました。
 
お鼻は以前はプロテーゼを抜こうか悩んでいらっしゃいましたがもっと高くしたくなりました!とのことでした。 「見慣れたせいかな?」とのことです。 鼻はなかなか難しいので自分の気持ちが完全に固まるまで高くしたり低くしたりはあせらないほうがよいと思います。
 
アパタイト額形成術の欠点: アパタイト形成術の凹凸は術後約1ヶ月を経て明らかになってきます。 術後微調整が必要な方々が時々でるのが小切開によるアパタイト額形成術の欠点といえます。
2008-08-21
今日8月20日は1945年に真岡郵便電信局事件(まおかゆうびんでんしんきょくじけん)が起こった日です。 
この事件は樺太真岡郡真岡町に、ソビエト軍が艦砲射撃を行って上陸、侵攻した際、真岡郵便局電話交換手の女性12名のうち9名が迫りくるソ連軍を前に服毒自殺をした事件になります。
 
 
 
本日ご紹介の患者さんは鼻の下を短くしたい、鼻先を細くして下に向けたい、小鼻の張りを抑えたいとの御希望にて人中短縮術、鼻尖縮小術(クローズ法)、小鼻縮小術、鼻尖部軟骨移植術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後3週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
こちらで手術を決断して本当によかった! 大変満足のいく形!とのことで順調な経過です。
ご遠方から来ていただくと私も不安でいっぱいですが幸い満足されて喜んでいただけると私も幸せです。
 
お心遣いをいただきました。


チョコカステラでした。 ありがとうございます。 どうか御気を遣わないで下さい。

2008-08-20

1945年の8月18日未明、占守島(しゅむしゅとう)〔千島列島の北東端を占める島・千島列島唯一のソ連軍との激戦地〕にソ連軍が侵攻し日本軍と戦闘になりました。
 
8月15日の玉音放送後、日本軍は武装解除を行い本土に帰る準備を進めてていましたが18日の国籍不明軍によるこの攻撃により防衛配置につき国防のため、そして島に残る婦女子のために日本軍として最後の組織的戦闘を行いました。
 
当時占守島には缶詰工場で働く約400人の若い女子工員がいました。ソ連軍による婦女子の陵辱を恐れた占守島司令部隊は、一斉の高射砲攻撃の中、島にあった独航船20数隻に女性を乗せ無事に北海道に脱出させることに成功しました。
 
占守島の兵士はノモンハン事件やガダルカナル島の生き残りが多く実戦経験があり、士気も高く、ソ連軍の一日で占守島を占領し北海道まで侵略する作戦を押しとどめるどころかあとわずかの攻撃で日本軍がソ連軍を殲滅という体勢にまでなりました。しかしそのとき、札幌の方面軍司令部から「戦闘を停止し、自衛戦闘に移行」との軍命令が届き、停戦交渉を開始せざるを得なくなりました。
 
占守島における日本軍の最終的な武装解除がなされたのは8月24日になります。日本では、8月15日を終戦の日として扱っていますが、その後も祖国を守る戦いは占守島では続いていました。
 
 
島を死守し、婦女子を保護し、祖国を守るべく戦い抜いた日本兵士達は、戦闘終了後帰国できるはずがソ連に極寒のシベリアに強制連行され奴隷労働に従事させられ多くが命を落としました。
 
故郷に帰り、家族に会えるという望みをがあったにもかかわらず終戦後も命をかけて守るべきものを守る為に戦い、かろうじて生き残った者も不法なシベリア抑留までされて散っていった彼らを日本人は決して忘れてはならないと思います。
遊就館内パンフレットより
 
 
 
 
本日ご紹介の患者さんは既往としては他院にて鼻プロテーゼ留置術、鼻尖縮小術、鼻尖部軟骨移植術、鼻柱下降術をお受けになられたことのある患者さんです。 
今回、鼻先を下げたい、鼻の穴を正面からなるべく見えなくしたいとの御希望にて鼻孔縁下降術(鼻孔縁延長術)、他院で留置された鼻尖部軟骨の移動および追加軟骨移植術をお受けになられました。
上段:術前です。
下段:術後3週再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
正面から鼻の穴も目立たなくなり鼻先も下がり順調な経過です。
軟骨を利用した鼻孔縁下降術(鼻孔縁延長術)は術後約半年経て鼻孔内に突出した部分をトリミング行います。 完成まで半年はかかりますがあせらず頑張りましょう。
2008-08-18
今日は、1945年(昭和二十年)8月14日、満州国(中国東北部)の葛根廟(かっこんびょう)において非武装の日本人避難民約1000人がソ連軍によって攻撃を受けたいわゆる葛根廟事件(かっこんびょうじけん)がおきた日になります。この攻撃により多数の子供が孤児となり中国人に保護され、中国残留孤児となりました。
 
 
また日本本土では米軍最後の日本本土空襲として秋田県秋田市の秋田・土崎空襲 、群馬県の伊勢崎空襲がありました。
 
 
本日ご紹介の患者さんは御希望として2008年6月30日の写真の患者さんのようになりたいとのことでした。 2008年6月30日にご紹介の患者さんは笑ったときのひきつれ感でお悩みだった旨をお話し同様の悩みが生じる可能性をお話しましたが「それでもいい」とのことで施術をひきうけることとなりました。
 
手術は小鼻縮小術、鼻孔縁挙上術をお受けになられました。
 
上段:術前です。
下段:術後約2週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
以前に他院で鼻柱部基部に吸収されない注入物をお入れになられておりそれが手術中白濁のゲル状のものとしてドロドロと流出してきました。 そのせいかキズの治りが悪く、また、どうしても小鼻をもっと細く締めてほしいとの御希望により初回術後約10日後に治りの悪いキズを切り取り再手術を行いました。再手術後2週間の時点で満足のいく形になり、笑ったときのひきつれ感も気にならないとのことで順調な経過です。
 
 
ハワイに行った知人がパールハーバーに浮かぶ戦艦ミズーリを見に行ってきたとのことでした。
あのかの有名な石野節雄・二等飛行兵曹(当時十九歳・岡山県出身)が戦艦ミズーリに特攻し右舷に残した凹みを撮影しメールで送ってくれました。


わたしもかつてパールハーバーでこの凹みをみて涙しました。

明日は終戦記念日です。
英霊達に深謝します。

2008-08-14

本日ご紹介の患者さんは鼻を正面からみて小さくしたいとの御希望にてカウンセリングをお受けになられて私の提案としては鼻尖縮小術、小鼻縮小術、鼻孔縁挙上術をさせていただきましたが、ご自身の判断の結果、小鼻縮小術、鼻孔縁挙上術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
中段:患者さんがもってきてくださった理想の鼻の形です。
下段:術後3週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
再診時のご感想では形はとても気に入っているとのことでした。
キズの赤みは徐々に落ち着いていくでしょう。
順調な経過です。
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないで下さい。

2008-08-11

今日は1957年 に米軍機母子殺傷事件が起こった日です。
当時茨城県にあったアメリカ軍水戸補助飛行場から離陸した米軍機が上昇せず、滑走路東端から500mはなれた道路を自転車で走行していた親子に機体が接触し、母親は胴体を切断され即死、息子も腹部に重症を負ったという事件でした。たびたび米軍が低空飛行をおこなって通行人を驚かすいたずらをしていたためその延長線上の事件として地元市議会は米軍に抗議文を提出し、茨城県警もパイロットを業務上過失致死及び同傷害で水戸地検に書類送検し任意出頭を求める事態にいたりましたが、アメリカ軍の公務中に起きたものであるとして、日米地位協定により日本側の第一次裁判権が放棄され捜査の続行も挫折しました。
 
本日ご紹介の患者さんは鼻中隔延長術、鼻尖縮小術(クローズ法)、小鼻肉厚減幅術、I型プロテーゼ隆鼻術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後1ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
術後鼻先が下がりすぎ、つけ鼻みたいな感覚がおありとのことでした。 様子をみられてそれでも修正手術御希望でしたら術後半年経て状態が落ち着いたらやりましょう。
 
鼻中隔延長術のリスク
1.鼻先がゆがむ可能性
2.鼻中隔軟骨に移植した軟骨の体積にて鼻腔が狭くなり下からみると鼻中隔が膨らんでみえたり呼吸がしずらくなる可能性(他院で手術されてこの症状でお悩みの方々が何人も相談にこられています。)
3.時間を経てから鼻先の皮膚が薄くなる可能性(鼻先の皮膚の下が軟骨だからといってプロテーゼと異なり安全という保証はないと思います。)
4.採軟骨部(耳や肋骨部)の傷
5.鼻先が下がりすぎ、高くなりすぎという不満が生じる可能性または下がり足りないという不満が生じる可能性。
 
先日お心遣いをいただきました。
ありがとうございます。 どうか御気を遣わないで下さい。
2008-08-03
今日は1944年 にテニアン島の日本軍が玉砕した日になります。約8100名 の日本兵の命がこの島で散りました。
 
テニアン島のハゴイ飛行場は米軍により拡張整備され、本格的な日本本土空爆を行う基地となり1944年11月以降、連日のように日本に向かうB-29がこの島を離陸してきました。
1945年8月6日の広島、8月9日の長崎に原爆を投下したB-29もこの島から発進しました。
 
また1945年の今日は富山大空襲があった日になります。
富山上空にB29戦闘機170機が来襲し周辺部から焼夷弾を投下して火の輪で市街地を囲み逃げ場をなくした後、中心部に焼夷弾や小型爆弾を2時間にわたって投下し無辜の市民の無差別虐殺を行い2737人の人命を奪いました。
 
 
 
本日ご紹介の患者さんは3年前に他院にて上顎セットバック手術をお受けになられた患者さんです。 セットバック手術で7mm上顎をさげたとのことですがその後の上口唇周辺の容貌が上顎が下がりすぎた印象でお悩みになられているとのことでその改善目的に御来院されました。
 
セットバック手術をお受けになられた病院でのご相談をお勧めしましたがそこではもう相談を希望しないとのことでしたのでカウンセリングの結果、鼻翼基部プロテーゼ、鼻口唇角部プロテーゼ、上口唇脂肪移植術をお受けになられることとなりました。
 
上段:術前です。
中段:初回術後3ヶ月再診時です。
下段:二回目手術後1週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
(写真はクリックすると拡大します)
まず初回手術時には通常の鼻翼基部プロテーゼ、鼻口唇角部プロテーゼ、上口唇脂肪移植術を行いました(中段)。 しかし患者さんとしてはもっと上顎の位置を出すのにプロテーゼを従来の鼻翼基部の位置ではなく鼻の下に入れたいとの御希望にてプロテーゼの位置移動のための再手術を行いました。またその際に二度目の口唇への脂肪移植を御希望でしたので同時に行いました(下段)。 二回目術後1週間の再診時のご感想では「今 一番いい感じ」とのことですがもうちょっと腫れが引いて上口唇のボリュームも残念ながら多少は減ずると思います。
 
 
プロテーゼのリスク
・感染
・移動 等
 
脂肪移植のリスク
・しこり
・定着しすぎ(予定量オーバー)
・定着不良 (予定量以下)  等
先日お心遣いをいただきました。
ありがとうございます。 どうか御気を遣わないで下さい。
2008-08-02
今日は1894年に朝鮮半島の豊島沖で日本軍と清軍による海戦(豊島沖海戦)が行われ実質的な日清戦争の始まった日になります。 この戦線布告前の開戦の経緯においては豊島沖で日本海軍第1遊撃隊「吉野」「浪速」「秋津洲」が清国軍艦「済遠」「広乙」と遭遇するも開戦前であったため、国際法に則って日本側が礼砲を撃とうとしたが、清国軍艦から砲撃を受け、戦闘が始まったとされています。
なお、日本政府はこの開戦前から開戦に備えてさまざまな開戦工作をしており、この強引な開戦工作に対して、明治天皇は「これは朕の戦争に非ず。大臣の戦争なり」との怒りを発していたと言われています。
 
本日ご紹介の患者さんは小鼻縮小術をお受けになられて術後4ヶ月の患者さんです。
上段:術前です。
下段:術後4ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
順調な経過です。
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないで下さい。

2008-07-25

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