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今日は1945年 ポツダム宣言受諾の決定を日本国民に知らせる昭和天皇自身に肉声によるラジオ放送(いわゆる玉音放送ぎょくおんほうそう)が行われた日になります。
 
未明にこのポツダム宣言の受諾に反対する士官達によるクーデター未遂事件(宮城事件)が鎮圧された上での放送でした。
 
天皇が御前会議での聖断によってポツダム宣言の受諾を決定し中立国を通して連合国に通告したのが8月10日、ポツダム宣言受諾が確定し受諾の詔勅が発せられたのは8月14日、軍隊への停戦命令が出されたのは8月16日、日本政府が降伏文書に調印したのは9月2日、ソ連との戦闘終結は9月4日であり8月15日今日は玉音放送の放送日にすぎないといえばそれまでですが玉音放送はそれまで正式に放送されたことのない昭和天皇の肉声による放送であり日本人にとっては衝撃的な放送でした。今日8月15日はお盆にあたることから死者の魂を追憶し供養すべき日として日本人の意識のなかに根付いてきた以上、先の大戦にて鬼籍に入られた方々の弔いを本日行うことは意味があることだと思います。
 
先の大戦に際し、海外の戦場で戦没された方々は、軍人・軍属で約210万人それに戦火に巻き込まれて死亡した一般邦人約30万人で、合わせて約240万人と言われています。
 
本日靖国神社を閣僚で参拝したのは野田聖子消費者行政担当相一人だけとは寂しい限りです。
 
一無名美容外科医である私は無名戦士として親しみを感じる無名戦没者のお墓である千鳥ヶ淵(ちどりがふち)戦没者墓苑からお参りにいきました。
今日は私のいった時間帯のせいか例年と異なり賑やかでした。
無名戦士の方々の御英霊も賑やかでよろこばれていると思います。
その後靖国神社に行きました。
こちらは多くの人々であふれ本殿に参拝するまで時間を要しました。
 
日本のために散華された方々に心より深謝いたします。
 
 
本日ご紹介の患者さんはキズ痕修正、いちご鼻治療目的にフラクショナルレーザー治療をお受けになられた患者さんです。
 
患者さんの鼻翼上部の傷を見たときに息をのみました。

某形成外科准教授がかつての私の患者さんの鼻に作ったキズと似ていたからです。

 

学会での隠ぺい発表に始まり諸々のことで私は某大学形成外科・美容外科に対して不信および軽蔑の念を抱くようになりました。 形成外科と美容外科をとりまく政治的にどす黒い世界も見させていただきました。  
 
後医は名医という格言があるとおり前医の批判に通じるような行為をしてはいけないのにまだまだ人間ができていない私は思わず患者さんに「執刀医は誰ですか?」 と聞いてしまいました。
やはり切って縫って開いてしまったキズでしたが執刀医は幸いなことに彼ではありませんでした。
 
「四方の海 皆同胞と思ふ世に など波風の 立ち騒ぐらむ」
 
さてこの傷と鼻の毛穴の改善目的でフラクショナルレーザー治療を開始することとしました。
 
左:施術前です。                右:施術後1か月再診時です。
一回の施術でもかなりの改善がみられています。
 
施術後1か月再診時に2回目のフラクショナルレーザー治療を行いましたがその後3か月近く再診にいらしておりません。お忙しいとは思いますが私にとってこのキズは絶対よりよくしてさしあげたいキズです。またの再診を心よりお待ちしております。
 
 
 
 
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2009-08-15

2004年 - 沖縄米軍のCH53D型大型輸送ヘリが沖縄国際大学(沖縄県宜野湾市)へ墜落した日になります。
 
米軍は日米地位協定を根拠に事故現場付近を封鎖し日本の警察による現場検証を拒否しました。
 
 
本日ご紹介の患者さんは鼻先のもったり感がマシになればよい、小鼻の肉の厚みを改善したいとのご希望にて鼻尖縮小術(close法)、小鼻肉厚減幅術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後1か月再診時です。
大満足!(5/5)ということで順調な経過です。
2009-08-13
今日は1957年 に米軍機母子殺傷事件が起こった日です。
当時茨城県にあったアメリカ軍水戸補助飛行場から離陸した米軍機が上昇せず、滑走路東端から500mはなれた道路を自転車で走行していた親子に機体が接触し、母親は胴体を切断され即死、息子も腹部に重症を負ったという事件でした。たびたび米軍が低空飛行をおこなって通行人を驚かすいたずらをしていたためその延長線上の事件として地元市議会は米軍に抗議文を提出し、茨城県警もパイロットを業務上過失致死及び同傷害で水戸地検に書類送検し任意出頭を求める事態にいたりましたが、アメリカ軍の公務中に起きたものであるとして、日米地位協定により日本側の第一次裁判権が放棄され捜査の続行も挫折しました。
 

本日ご紹介の患者さんは(2008-04-22blog掲載)約1年前に鼻先を下ろしたい、鼻先を細くしたい、小鼻を小さくしたい、鼻穴を見えなくしたいとのご希望で(カルテ記載資料より)鼻中隔延長術、鼻尖縮小術、小鼻縮小術、鼻プロテーゼ留置術 をお受けになられた患者さんです。 術後「鼻が高すぎる感じがします」とのことで術後2か月を過ぎた時点で鼻プロテーゼの抜去手術をお受けになられました。その時同時に頬骨再構築法、エラ骨スティック骨切り+ロアーリフトをお受けになられました。 その後の再診でも「鼻先が少し下向きすぎた。あともう少し丸みがあった方が良かったので再手術を希望します。」とのことで再手術をご希望されたので今回は鼻先の丸みをだすため移植した軟骨の部分切除手術を行いました。

 

上段:術前です。
中段:術後1年(頬骨再構築、エラ骨スティック骨切り+ロアーリフト、プロテーゼ抜去後約9月)再診時修正手術術前です。
下段:鼻中隔延長手術修正手術術後3か月再診時です。


(写真をクリックするとPC上では写真が拡大され鼻の形態の変化がより確認しやすくなると思います)
御感想は「前ほどは気にならなくなってきましたがやはり左からみると鼻先が高く感じます。」とのことでした。
ご希望に沿う形態をまたもやご提供できなかったということで美容外科医として遺憾です。

再手術前に「他人からみてバレない程度にさげたかったのに・・」と涙ぐまれ御期待の結果をご提供できず申し訳なかったと思うと同時に私自身患者さんからそのようなご希望を伝えていただいた記憶がなくカルテの記録上もそのような記録はなかったので当惑しました。 私自身の記録ミス、ヒアリングミスなのかもしれません。それとも患者さんの意識の変化による思い込みなのかもしれません。 今となっては残念ながらわかりません。

言った言わないの議論になりますとお互い寂しくかつ悲しいので、今後同様の事態が起きないようにこのブログを読まれていて私のカウンセリングや手術をお受けになられる御予定である患者さんはカウンセリング時や術前にお渡しするシートに漏れなく細かく希望事項を必ず記載していただくようここでお願い申し上げます。

鼻中隔延長術のリスク

鼻中隔延長術のリスク
1.鼻先が下がりすぎ、高くなりすぎという不満が生じる可能性または下がり足りないという不満が生じる可能性。
→ 必ず担当医にご希望の形態の鼻の写真をサンプル写真として見せると同時に「控え目希望」「しっかり確実に下げたい」等希望を明言しなおかつ術前のヒアリングシートにご自身の字で希望を書き込んでください。
2.鼻先がゆがむ可能性
3.鼻中隔軟骨に移植した軟骨の体積にて鼻腔が狭くなり下からみると鼻中隔が膨らんでみえたり呼吸がしづらくなる可能性(他院で手術されてこの症状でお悩みの方々が何人も相談にこられています。)
4.時間を経てから鼻先の皮膚が薄くなる可能性(鼻先の皮膚の下が軟骨だからといってプロテーゼと異なり安全という保証はないと思います。)
5.採軟骨部(耳や肋骨部)の傷。 某医療材料を用いるとこの傷はできなくて済むが今度はその医療材料の安全性の確かさに対する問題が生じます。
6.限界まで鼻先を下げて欲しいとの患者さんの希望に対してオープン法でそれに応えるべく手術を行うと創部の血流不良にて癒合不全、感染が生じる可能性。

2009-08-03

本日御紹介の患者さんは鼻根縮小術、小鼻縮小術、顎プロテーゼ入れ換え術、頬骨前方削り術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後約1年再診時です。
全体的により上品な感じになられ順調な経過です。
しかし術前より左頬がやや高かったのがやはり気になられるとのことでもう少し削りたいかもとのことで再手術をお受けになられるかもしれません。
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2009-07-28

本日ご紹介の患者さんは約半年前に人中短縮術を、約4か月前にほうれい線プロテーゼ(鼻翼基部プロテーゼ)をお受けになられた患者さんです。 上段:術前です。下段:人中短縮術術後半年、ほうれい線プロテーゼ留置術術後約4か月再診時です。
口まわりが上品になられたとのことで御感想は御満足(5/5)ということで順調な経過です。 先日お心遣いをいただきました。

ありがとうございました。 どうか御気を遣わないでください。

2009-07-27

本日は沼津大空襲の日になります。 1945年に米軍B29の130機の編隊が海軍工廠や多くの中小軍事工場のある沼津市街上空に侵入し9077発、1039トンの焼夷弾を投下し沼津市の90%が破壊されました。
 
 
本日ご紹介の患者さんは 鼻尖縮小術(クローズ法)、鼻尖部軟骨移植術、小鼻縮小術、顎先ヒアルロン酸SubQ注入術をお受けになられました。
 
術前は右鼻孔が左に比べて大きかったので微調整を行っています。
 
希望のお鼻の形態の例として以下の写真を提示してくださいました。
完全に同一にすることはできませんが私なりに最大限の努力をして差し上げるべく施術に臨みました。
 
上段:術前です。
下段:術後3か月再診時です。
(写真はクリニックすると拡大します)
御感想はもっと鼻孔縁を下げたい、小鼻をもっと小さくしたい、もう少し上の方から鼻尖を細くしたいとのことで不満(1/5)ということでした。 ご希望の形態にして差し上げることができず申し訳ありませんでした。
 
今後再手術が可能な状態になりましたら手を加えることができるか詳細に検討したいと思います。
ただしこれ以上小鼻を縮小するのは美しくないと思うので個人的には熟慮して戴きたく思います。
 
 
昨日手術した患者さんがご自分の骨がどのように骨切りされたのか見たいとのことでしたので供覧します。


エラ〜顎先まで下顎骨スティック状骨切りおよびエラ部分(咬筋付着部)外板骨切りです。
最近この手術をご希望されて相談にこられる方が多いですが正面からみたエラの張り出し部分を改善するために外板骨を骨切りし外す操作を誤ると以前紹介した症例のように内板骨まで削り落されエラがなくなったような異様な顔貌になります。
また下顎骨のスティック状骨切り手術は将来的に顎骨量が少なくなることによりインプラント等の植立の際に困る可能性があります。また術後のオトガイ神経麻痺は必発です(通常経時的には改善していきます)。

熟慮してください。

2009-07-17

今日は1953年に日比両政府がフィリピンのモンテンルパ刑務所に収監されていた日本人戦犯106名の減刑・釈放に合意した日になります。
 
ああモンテンルパの夜は更けて という歌を知っていますか?
 
この歌はフィリピンの日本人B級戦犯死刑囚により作詞作曲され、歌ったのが「支那の夜」や「何日君再来」などを歌った渡辺はま子氏になります。
 
1952年大東亜戦争終戦後7年も経過し、サンフランシスコ講和条約から1年もたって、A級戦犯も免責されんとしている時、まだ異国で処刑されていくBC級戦犯がいました。その異国の一つにフィリピンがあり日本人戦犯はモンテンルパ刑務所に収監され処刑されていっていました。
 
渡辺はま子氏は「ああモンテンルパの夜は更けて」のレコード化に奔走して、遂に大ヒットさせました。これにより、自分の生活に追われていた日本人の多くがフィリピンにおける同胞の悲愴な現実を知ることとなり、集票組織の無かった当時としては異例の、500万という助命嘆願書が集まりました。
 
1952年年12月24日、歌手・渡辺はま子氏のこの歌がモンテンルパの刑務所の中を流れました。40度を超す酷暑の中で、渡辺はま子氏は振袖を着て歌いました。この歌が流れると会場の中からすすり泣きが聞こえたといわれています。会場にいたフィリピンの元駐日大使デュラン議員が、当時禁じられていた国歌「君が代」を「私が責任を持つ、歌ってよい」と言った為、全員が起立して祖国日本の方に向い歌い始めましたが多くの人は泣いて声が出ず、泣き崩れる者もいたとされています。
 
しかしこの「ああモンテンルパの夜は更けて」のメロディーがそれを聞いたフィリピン大統領のキリノ氏の心を動かし日比両国の日本人戦犯106名の減刑・釈放合意につながりました。 
 
フィリピンは1898年6月12日独立宣言するも米比戦争で60万人のフィリピン人がアメリカ人により無残に虐殺され1946年7月4日に米国から独立の承認を得るまでに実に50年近くの歳月を要した国になります。
 
 
 
本日ご紹介の患者さんは鼻根縮小術(鼻骨骨切り幅寄せ術)をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後約半年再診時です。
御満足ということで順調な経過です。
 
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2009-07-06

今日から一週間 6月4日〜10日は歯の衛生週間になります。
 
本日ご紹介の患者さんは鼻尖縮小術(クローズ法)、小鼻縮小術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後約3か月再診時です。
御満足(5/5)ということで順調な経過です。
 
 
先日お心遣いをいただきました。


赤福でした。 ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2009-06-04

本日ご紹介の患者さんは既往として他院にて鼻ヒアルロン酸隆鼻術をお受けになられていてやや鼻根が太くなってしまっていました。 今回鼻筋を通して高くしたいとのご希望にてヒアルロン酸分解後 鼻プロテーゼ隆鼻術(名古見先生)をお受けになられました。
 
 
左:術前です。
右:術後約一週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)
.2009-05-21.jpg
まだ術後1週間なのでもう少し腫れは引くと思います。 御満足(5/5)ということで順調な経過です。
2009-05-21
本日ご紹介の患者さんは2年前に鼻プロテーゼ留鼻術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後2年再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。
御満足ということで順調な経過です。
 
 
先日お子心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2009-05-18

本日ご紹介の患者さんはプロテーゼ隆鼻術、および切らずに糸だけでとめる鼻尖縮小術!?を他院にてお受けになられた既往のある患者さんです。 今回ご希望として鼻の横幅を小さく、先を細く下に下げ横から見たときの鼻先を尖らせ下から見たときの穴が八の字になるようにとのご希望にて鼻中隔延長術、小鼻縮小術、鼻尖縮小術(クローズ法)をお受けになられた患者さんです。
またプロテーゼの右へのずれがありましたので同時に矯正しています。
 
上段:術前です。
下段:術後約1か月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)
「正面と下から見た形はまさに理想どおりで大満足しています。 しかし斜めから見たときに鼻が長すぎるように感じる。自分には似合わなくて申し訳ありません。再手術を考えています。」とのご感想でした。
 
まだ見慣れないのかもしれません。 鼻先が落ち着く半年間は様子をみてくだされば幸いです。
 
 
鼻中隔延長術のリスク
1.鼻先がゆがむ可能性
2.鼻中隔軟骨に移植した軟骨の体積にて鼻腔が狭くなり下からみると鼻中隔が膨らんでみえたり呼吸がしずらくなる可能性(他院で手術されてこの症状でお悩みの方々が何人も相談にこられています。)
3.時間を経てから鼻先の皮膚が薄くなる可能性(鼻先の皮膚の下が軟骨だからといってプロテーゼと異なり安全という保証はないと思います。)
4.採軟骨部(耳や肋骨部)の傷。 某医療材料を用いるとこの傷はできなくて済むが今度はその医療材料の安全性の確かさに対する問題が生じます。
5.鼻先が下がりすぎ、高くなりすぎという不満が生じる可能性または下がり足りないという不満が生じる可能性。
6.限界まで鼻先を下げて欲しいとの患者さんの希望に対してオープン法でそれに応えるべく手術を行うと創部の血流不良にて癒合不全、感染が生じる可能性。
 
 
 
 
 
 
 
メイヨー兄弟の格言
Charles・H・Mayo
101.どのような麻酔薬を選択するかは、その症例にとっての必要性よりも、術者の好みによって決められることがしばしばあります。
William・J・Mayo
101.真理を探究する科学者は、事実の客観的な論理によって導かれて、科学的想像力をかき立てられるのです。
 
 
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2009-03-25

本日ご紹介の患者さんは約2年前に私の鼻尖縮小術(オープン法)をお受けになられ、今回博士先生の小鼻縮小術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:鼻尖縮小術 術前です。
中段:術後約2年再診時、小鼻縮小術前です。
下段:小鼻縮小直後です。
2年ぶりの再診時のご感想では「鼻尖縮小術は術前になかった鼻筋がでたので満足!」ということで順調な経過です。
小鼻縮小術は直後は麻酔のせいで、その後は手術の侵襲のせいで数週間は腫れているのでしばらくあせらず様子を見ましょう。
 
先日博士先生がお心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2009-03-19

今日は1945年3月16日に硫黄島において栗林中将が東京の大本営へ訣別電報を送った日になります。
 
10日後の26日に日本軍の最後の反攻が行われ、栗林大将、市丸少将以下、数百名の残存部隊がアメリカ軍陣地へ総玉砕攻撃を行いました。
これ以後組織的な戦闘は終結しました。しかし、その後も生き残った日本兵が地下坑道に潜伏し、一部は終戦を知らずに抵抗を続けました。終戦から4年後の1949年1月1日、最後の日本兵2名がアメリカ軍に投降し硫黄島における戦闘は終わりました。
 
硫黄島には、現在でも約一万三千柱の遺骨が未回収のまま残されており、現在の滑走路は日本兵の死体を埋めた上に作られています。また、一千人以上の日本兵の頭蓋骨が米兵によって”お土産”として米本国に持ち去られたと言われています。
 
本日ご紹介の患者さんは鼻の穴を目立たなくしたいとのご希望にて他院にて鼻中隔壁延長術をお受けになられるもほとんど鼻の穴を隠す効果がなかったとのことで今回当院にて鼻孔縁下降術(鼻孔縁延長術)をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後約1週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)
御満足ということで順調な経過です。
 
 
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2009-03-16

本日ご紹介の患者さんは鼻の穴を見えにくくしたいとのご希望にて鼻孔縁下降術、小鼻縮小術をお受けになられた患者さんです。
 
手術をお受けになられてほぼ満足とのことでしたが「鼻穴をもっと見えなくしたい。小鼻の付け根も下げたい。」とのご希望にて再手術を初回術後約半年後に行いました。
 
左:術前です。  真ん中:初回術後2か月再診時です。   右:再手術後術後1週間再診時です。
(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。 写真はクリックすると拡大します)
 
「満足!」ということで順調な経過です。 傷の赤味は数か月を経て徐々に改善していくでしょう。
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2009-03-14

今日は1942年にフィリピンのコレヒドールに司令部を置いていたダグラス・マッカーサー将軍が日本軍の攻撃に耐え切れずオーストラリアへと逃れた日となります。
 
本日は頬骨再構築法をお受けになられた患者さんの症例紹介です。
 
内容は頬骨(きょうこつ)の張りを減少させる手術となります。
 
この頬骨の張りを減少させる方法として大きくわけて3種類あります。
 
1.頬骨を削る方法・・・・・ まさに頬骨削りの文字通りの方法です。 特殊な電動機械を用いて頬骨を削りますが削り幅はあまりたいしたことはなく頬骨のでっぱりが強めの人には適しません。 もちろん時間をかけて削れば削り幅を増やすことは不可能ではないですがモーターが焼け付く可能性があるため削り幅に限度があります。
 
2.頬骨アーチリダクション=頬骨弓前後骨切り術(頬骨弓を切り落とす方法)・・・・ 多くの形成外科医が行う頬骨弓に対する術式です。頭頂部より頭皮を剥がして頬骨にアプローチするか、口腔内と耳前部よりアプローチし頬骨弓を切り落とす方法です。 
 
3.頬骨弓の形態そのものを再構築する方法【再構築法(勝間田法)】・・・・ ライフクリニックの勝間田先生が昭和50年後半から60年前半にかけて十仁病院にて研究開発された手術法で頬骨を細分化して再配列、再構築する方法です。 
他の方法で効果がなかった多くの患者さんがこの方法を求めて勝間田先生のところへいらっしゃっています。
 
 
本日ご紹介の患者さんはカウンセリングの結果3.の頬骨再構築法をご希望され手術をお受けになられました。
また後日私の執刀にて鼻尖縮小術、小鼻縮小術、他院プロテーゼ隆鼻術修正術、鼻翼基部プロテーゼ留置術をお受けになられています。
 
上段:術前です。
下段:術後約2年再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)
曲がって留置されていたプロテーゼもすっきりまっすぐになり順調な経過です。
 
術後2年を経てもみあげ内のキズは執刀した私もわからないぐらいにきれいになりました。
御満足!ということで順調な経過です。
 
私の行う頬骨再構築法のデメリット
1.効果がありすぎて希望よりも凹んだ状態に感じる場合がまれにあります。 その際は脂肪移植等のメンテナンスが必要になるかも知れません(今まで一人だけいらっしゃいます)。
2. 顔面神経側頭枝麻痺(おでこに皺を作ることができなくなる)の可能性があります。現在半永久的に麻痺が残った方はいませんが改善まで最長8ヶ月を要した方がいらっしゃいます。
3.再構築した骨が再度レントゲンやCTにて写るようになるまで十分に骨化するのに半年から一年以上を要します。また人によっては時間を経てもレントゲンやCTにてうつらない場合もあります。その場合でも後遺障害はありません。 しかしこの術式を知らない医師が画像をみるとびっくりするかもしれません。
 
先日お心遣いをいただきました


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2009-03-11

本日ご紹介の患者さんは鼻を高くしたい、団子鼻を改善したいとのご希望にてカウンセリングの結果プロテーゼ隆鼻術、鼻尖縮小術(クローズ法)をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後1週間抜糸時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)


プロテーゼをいれると骨膜を剥離するため上の写真のように術後一週間ではまだ鼻の各所に内出血や目の下に内出血のなごり(黄色)が認められます。 
「いい形になってくれてると思います」とご満足とのことでしたがその後以降御約束の再診にいらしておりません。
便りがないのはよい便りと信じたいですが定期検診は重要です。 またの御再診をお待ちしております。

今日と明日はタイのチェンマイ大学にきています。

2009-03-07

今日は日本耳鼻咽喉科学会が1956年に制定した「耳の日」の日です。1948年に松江聾学校長だった今西孝雄先生が最初に発案したといわれています。
 
今日は電話機を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルの誕生日でもありまさに「耳」の日と言えるかもしれません
 
本日ご紹介の患者さんは小鼻縮小術をお受けになられた患者さんです。
上段:術前です。
下段:術後約1年再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)


御満足ということで順調な経過です。

2009-03-03

今日はあのあまりにも有名な2.26事件が起こった日です。
 
1936年2月26日大日本帝国陸軍の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校らは、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、腐敗が収束すると考えていました。
 
この事件は結局制圧されますが、この青年将校たちに多大なる精神的バックボーンとなったのが北 一輝(「きた いっき」として有名。 正しくは「ほく いっき」)の「日本改造法案大綱」になります。
 
2.26事件に関し北は計画自体を知っていたものの、時期尚早であると慎重な態度を取っており、指揮等の直接関与は行っていなかったとされています。真崎甚三郎大将ら皇道派の黒幕が予備役退役の処分で済んだのと較べると北は理論的首謀者とされ、愛弟子の西田税とともに極めて重い処分である死刑となり処刑されました。
 
本日ご紹介の患者さんは鼻口唇角形成術、小鼻縮小術、鼻尖縮小術、ハイブリッドプロテーゼ留置術、ホクロ切除術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後約10か月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)
順調な経過です。
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2009-02-26

今日は赤痢菌の発見者である志賀 潔博士がお亡くなりになられた日です。
明治時代の日本の近代化のなかで世界に通用する科学研究の成果を成し遂げた先駆者であり、現代の韓国のソウル大の前身である京城帝国大学の総長を御勤めになられた医学者でした。 残念ながらソウル大は創立を1946年とし京城帝国大学との連続を認めていません。
 
 
 

本日ご紹介の患者さんは鼻の変形改善を主訴に御来院された患者さんです。

既往として大学病院の形成外科にて手術をお受けになられており、引き続きその形成外科での治療をお勧めしましたがもうそこでは治療をおこないたくないとの強い御意志がおありだったため私が変形治療をお引き受けすることとなりました。
 
上段:術前です。
下段:術後約2週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)


鼻根部は太く歪んでいたため細く整えています。 鼻中隔部分は前医での手術瘢痕が強く、完全なる矯正は今回の一度の手術では難しいかもしれません。結果は今後の固定状況にもよります。 上口唇から人中部分にかけてのひきつりは改善処置をしています。
これからもしばらく自宅でのギプス固定をがんばりましょう。
ご感想は「満足!」とのことで順調な経過です。

2009-01-25

本日ご紹介の患者さんは鼻尖縮小術、小鼻縮小術をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後1年再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧してます)


順調な経過です。

2009-01-20

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