今日は102年前の1905年に日露戦争の奉天会戦で日本軍が勝利した日です。それを記念して陸軍記念日が制定されました。 62年前の1945年 のこの陸軍記念日に 東京大空襲 が米国によりなされました。8万人以上(10万人ともいわれる)が犠牲になり、焼失家屋は約27万8千戸に及び、東京の3分の1以上の面積(40平方キロメートル)が焼失しました。
爆撃の方法も日本家屋を焼き国土を焦土とするため焼夷弾(しょういだん)を用い左右を先に爆撃して炎の壁をつくり、その間に避難して炎に挟まれた群集を、後続の爆撃機でその炎の壁の間を爆撃して焼き殺すという戦法が採用されました。この東京大空襲で余った焼夷弾を落としていった空襲が平空襲(たいらくうしゅう)(福島県いわき市平)となります。 この平空襲では材木町、鍛治町、研町、紺屋町、梅本一帯が焼かれ死者12名、家屋500戸以上が炎上という被害がでました。
この一連の民間人無差別大量虐殺の立案、指揮をしたのが第21爆撃集団司令官カーチス・エマーソン・ルメイいわゆる鬼畜ルメイとなります。
大東亜戦争終戦後ルメイは戦略爆撃に精通し、また日本の防空体制の弱点(夜間防衛)を把握していたため日本の航空自衛隊創設に関与。1964年その功績により、日本政府より1964年勲一等旭日大綬章を授与されています。
第21爆撃集団司令官の前任者ヘイウッド・ハンセルが軍事施設にポイントをなるべく絞って精密爆撃を行っていたのに対し後任のルメイは無差別大量虐殺日本焦土作戦を行ったのにもかかわらずルメイに対し勲一等旭日大綬章を授与した当時の日本政府の判断に首を傾げざるをおえません。
国辱的行為だと思います。
さて今日は鼻尖縮小術(オープン法)をお受けになられた患者さんのご紹介です。
上段:術前です。
下段:術後一週間抜糸時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

鼻先を下げたいとの希望があったため鼻翼軟骨の移植を最初検討しましたが、鼻翼軟骨がよく発達しておりオープン法にて視野が良かったため一般的な鼻翼軟骨の移植ではなく(一般的な移植方法:軟骨を段々重ねにして一塊にして移植する方法は鼻先のシャープさを出しにくいのと鼻先の下げ幅が少ないという欠点があります)特殊な軟骨形成操作を行い鼻先を下げています。
昨日差し入れをいただきました。

パール柑でした。 ありがとうございました。 深謝いたします。
Charles・H・Mayo
3.私がここで書いているのは、原則や理屈で頭がいっぱいの人のためではなく、技術や方法に関心を持っている人のためです。
William・J・Mayo
3.アメリカの医療体系はあまりにも幅広く多彩で、これが国中共通のものであるとはいい難いのです。しかしアメリカにおける医療には科学的精神があり科学に国境はありません。
2007-03-10