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今日は大東亜戦争終戦後3年目である1948年 に三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫娘である 沢田美喜が大磯に混血児救済施設「エリザベス・サンダースホーム」を開設した日です。
ホームは、戦後日本占領のためにやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合軍兵士と日本人女性の間に強姦や自由恋愛の結果生まれたものの、両親はおろか周囲からも見捨てられた混血孤児たちのための施設でした。
このエリザベス・サンダースホームからは2000人近くの混血孤児が育ちました。沢田美喜氏はホームの孤児達の教育のために1953年には学校法人聖ステパノ学園を創立し1962年にはブラジルのアマゾン川流域の開拓を始め、聖ステパノ農場を設立し孤児院の卒園生が数多く移住しました。

敗戦国における占領軍によるしわ寄せはどこの国でも占領兵士の子を妊娠した女性たちにのしかかってきます。悲惨な敗戦国の陰の部分を博愛精神によって支えた沢田美喜氏に敬意を表します。

今日は鼻尖縮小術の術後三週間後検診時の方のご紹介です。
上段:術前です
中断:術後一週間抜糸時です
下段:術後三週間検診時です (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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順調な経過です。

最近は患者さんでブログを見てくださっている方が多く、先日も若い患者さんが「おじいちゃんがラバウルにいたのを思い出して思わずおじいちゃんに電話しちゃいました」とお話してくださり嬉しく思いました。

芸術家は作品が半永久的に残り社会で多様な評価を受けるのに対して美容外科は造形という点では一緒ですが造形の結果が通常は手術をお受けになられた患者さんの心の奥底にしまわれてしまうのみでした。徒然なるままに記載しているブログで多少なりとも仕事の一部をご紹介できたのは写真を快諾してくださった患者様方のご協力なくしてはあり得ませんでした。
ありがとうございます。 深く感謝いたします。

2007-02-01 

今日は1968年 東京大学医学部自治会がインターン制度の運用と医師法改正をめぐって無期限ストを開始した日です。 これが東大紛争の発端となりました。

この時の紛争の教訓がいかされてか現在は研修医は現在給与が保証される身分となりました。マッチング制度により母校を離れて研修する医師が増えいわゆる医局や学閥の形態がかわりつつあるようです。 

私はマッチング制度以前に医学部を卒業したのでマッチング制度の恩恵!?はうけていませんが私がレジデントをした病院は全国津々浦々からレジデントがあつまってきている病院でした。 病院内で丑三つ時に仕事をしていると緊急コールが流れ現場に駆けつけると同期のメンバーがほとんどあつまってたりしてまさに不夜城の様相を呈しているような病院でした。
若き同期の何人もが体調を崩し入院するという激烈な環境でしたが学べるものも莫大で非常によい経験をさせてもらったと思います。

さて今日は鼻尖縮小術、小鼻縮小術、鼻根縮小術の患者さんのご紹介です。
上段:術前です
下段:術後一週間抜糸時です (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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一週間抜糸までの間お疲れ様でした!

2007-01-29 

今日は赤痢菌の発見者である志賀 潔博士がお亡くなりになられた日です。
明治時代の日本の近代化のなかで世界に通用する科学研究の成果を成し遂げた先駆者であり、現代の韓国のソウル大の前身である京城帝国大学の総長を御勤めになられた医学者でした。 残念ながらソウル大は創立を1946年とし京城帝国大学との連続を認めていません。


さて今日は鼻孔縁挙上(びこうえんきょじょう)術をお受けになられた患者さんのご紹介です。
【写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。】
   術前、       手術部位(赤線枠内)、   術直後 

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昨日下瞼の脂肪を摘出した患者さんにお約束した脂肪の写真のUPです


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2007-01-25

今日は1972年にグアム島にて日本兵であった横井 庄一(よこい しょういち)氏が実に大東亜戦争終結から28年目に発見された日です。横井氏は「死して本土へは戻らぬ決意」で出かけて行ったという記憶がしっかりとあった為、帰国の際の第一声は「帰ってまいりました・・・恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」というものでした。

ジャングルでの28年間の生活・・・すさまじいまでの生命力と精神力に感服するばかりです。


今日は鼻口唇角形成術(びこうしんかくけいじゅつ) および鼻尖縮小術(びせんしゅくしょうじゅつ)をお受けになられた患者さんのご紹介です。

上段:術前です
下段:術後一週間抜糸時です(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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術前のお鼻は鼻柱部部分(鼻の穴の間の部分)の付け根部分が食い込んだ形態をしていたためこれを改善するべく鼻口唇角形成術(びこうしんかくけいじゅつ)を施術しています。
よって術後は正面像にて食い込んだ感じが改善され鼻柱が下りたように見えるのがおわかりいただけると思います。
また、鼻先を細く整えるために鼻尖形成術を施行し上向きの鼻先をやや下げるために鼻翼軟骨の鼻先移植も同時に行っています。

順調な経過です。

今日は北海道の名産物であるいかごはんと六花亭のマルセイバターサンドの差し入れをいただきました。

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お心遣いありがとうございます。  深謝いたします。

2007-01-24 

今日は「ラバウル海軍航空隊」という軍歌で有名なあのラバウル(現:パプアニューギニア領)にて1942年オーストラリア軍を駆逐した日です。

ラバウル航空隊は大戦初期には連合軍との空戦において損害率15対1という圧倒的な強さを誇ってました。しかし、ソロモン海でのガダルカナル島をめぐる戦いで、連日往復2000キロもの長距離飛行を強いられ、その激しい疲労で貴重な熟練搭乗員と機体のほとんどを失い、連合軍に敗北し「ラバウル海軍航空隊」の楽譜とレコードがラバウルに届いたのは航空隊撤退後となった悲しい最強航空隊です。

今日は鼻尖縮小術の施術3ヵ月後に鼻根縮小術をお受けになられ、鼻根縮小術後4ヶ月目の患者さんの経過報告です。

鼻根縮小術は幅広い鼻根、鼻背を狭くしたい場合に行う手術です。
手術方法については9月24日のブログに記載しています。
左から順に
1.鼻尖術前 2.鼻尖術後3ヶ月 3.鼻根縮小術後1週間 4.術後2週間 5.術後4ヶ月
(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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鼻全体がすっきりしたのがわかると思います。 鼻根縮小術は鼻の穴の中より手術を行いますので傷が外に見えず鼻全体をすっきりした感じに仕上げることができるので個人的には好きな手術の一つです。

2007-01-23

今日は1960年に(新)日米安全保障条約が締結された日です。この時締結された日米地位協定はさまざまな問題を内包しており現在にいたるまで改正が叫ばれ続けていますが未だ改正されていません。

この日米地位協定の大きな問題点として日本で裁判を受けるべき被疑者であっても、アメリカが先にその身柄を拘束した場合、身柄が引き渡されるのは検察により起訴がなされた後であるため十分な捜査ができない点や米軍が日本に施設を返還する際に現状回復義務を負わない点、および米軍の持つ「財産」について、日本の警察が捜索や検証を行う場合、米軍の「同意が必要」とされているため事故機も「財産」とみなされ、米軍はこれを根拠に日米合同の現場検証の拒否を通告できる点などが挙げられます。

1995年9月に沖縄県で起きた米兵による少女暴行事件における被疑者米兵の身柄引き渡し拒否や2004年8月13日に起こった沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場周辺で発生した米軍ヘリ墜落事故にて沖縄県警の現場検証さえの拒否などまさに国家主権が侵害される状況が現実におきてしまっています。

米軍基地の75%が沖縄に集中し狼藉をはたらく米兵の被害に沖縄の人々は直面しています。

大東亜戦争終盤の沖縄戦において大田海軍司令官が6月13日に玉砕する前に海軍次官に打った電報はあまりにも有名です。電報の最後の「沖縄縣民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ 」 に大田司令官の全ての思いが込められていると思います。

現代語訳を参考までに載せておきます。
「大田司令官の電文
次の電文を海軍次官にお知らせくださるよう、取り計らいください。
沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告されるべきですが、県はすでに通信する力はなく、三十二軍(沖縄守備軍)司令部も又通信する力が無いと認められますので、私は県知事に頼まれた訳ではありませんが、現状をそのまま見過す事が出来ないので、代って緊急にお知らせします。
沖縄に敵の攻撃が始まって依頼、陸海軍とも防衛のための戦闘にあけくれ、県民に関してはほとんどかえりみる余裕もありませんでした。
しかし、私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためにかりだされ、残った老人、子供、女性のみが相次ぐ砲爆撃で家や家財を焼かれ、わずかに体一つで、軍の作戦の支障にならない場所の小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下でわまよい、風雨にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。
 しかも若い女性は進んで軍に身をささげ、看護婦、炊事婦はもとより、砲弾運びや切り込み隊への参加を申し出るものさえもいます。
敵がやってくれば、老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されてしまうからと、親子が生き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。
看護婦にいたっては、軍の移動に際し、衛生兵がすでに出発してしまい、身寄りの無い負傷者を助けて共にさまよい歩いています。このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。
さらに、軍において作戦の大きな変更があって、遠く離れた住民地区を指定された時、輸送力のない者は、夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。
これらをまとめると、陸海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約を強いられ、ご奉公するのだという一念を胸に抱きながら、ついに報われることなく、この戦闘の最後を迎えてしまいました。
沖縄の実情は言葉での形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も六月一杯を支えるだけということです。
沖縄の県民はこのように戦いました。

県民に対して後世特別のご配慮をしてくださいますように。」

この電報を打ち玉砕した大田司令官の無念の思いに応えらるだけの配慮を戦後の日本は沖縄にしてきたでしょうか?

現在の国際情勢の中で核兵器をもち自衛することが現実的選択肢として困難な日本の現状において安保条約を即時廃棄し沖縄から米軍をなくすことは非現実的な選択肢かもしれませんが、そうであればこそせめて日米地位協定が改正されて日本の主権が遵守され日本人が安心して住める国になって欲しいと願います。

今日は鼻尖縮小手術をお受けになられた患者さんのご紹介です。
上段:術前です。
中段:術後1週間抜糸時です。
下段:術後約3週間目再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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ご希望によりオープン法にて行っています。 鼻先を多少下げるように鼻翼軟骨を移植しています。 順調な経過です。

2007-01-19

今日は大東亜戦争終戦7年後の1952年 に 韓国の李承晩大統領が李承晩ライン(りしょうばんライン) を宣言し一方的に竹島 を韓国領とした日になります 。

国際法上の慣例を無視した措置として日米側は強く抗議しましたが、このラインの廃止は1965年(昭和40年)の日韓漁業協定 の成立まで待たなくてはならなりませんでした。協定が成立するまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3,929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人を数えています。

青李承晩ライン(りしょうばんライン)の問題を解決するため日本政府は韓国政府の要求に応じて、日本人抑留者の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国人・朝鮮人472人を収容所より放免して在留特別許可を与えました。

ちなみにこの日韓漁業協定は韓国の工業化をすすめることで国を富ませ、民族の悲願である南北統一を促進することを考えた当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が資本金を日本より得るため日韓基本条約を締結したことにより結ばれた協定です。

残念ながら今日は竹島が韓国に不法占有宣言を一方的になされた国辱記念日となります。
しかし私は希望をもっています。いつか韓国が国際法も遵守する成熟した法治国家となり国際司法裁判所で日本と話し合う土俵にあがってきてくれることを。 

さて 今日は鼻尖縮小術をお受けになられた患者さんの御紹介です。
上段:術前です。
下段:術後一週間です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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患者さんのご希望によりオープン法で行っています。
発達した鼻翼軟骨が鼻尖より頭側の盛り上がりを形成していたためこれを切除し鼻尖部に移植しています。これによって術前の側面像ではtip(鼻の先端)が頭側にあって鼻が垂れた感じになっていたのが術後はtipが下がり側面でも整った形になりました。
順調な経過です。 きっと綺麗な鼻になります。

2007-01-18 

今日は1893年 にハワイ王国でアメリカ人が支援するクーデターが起こり、女王リリウオカラニが退位。カメハメハ王朝が倒れた日となります。

ハワイ王国といえば諸外国としては初めて日本に対し不平等条約撤廃してくれた国として日本人には親近感がわきます。

このクーデターが起きた時、日本は邦人保護を理由に、東郷平八郎艦長たる戦艦「浪速」および「金剛」をホノルルに派遣し、クーデター側の臨時政府の威嚇をしました。カラカウア王の要請した日本からの移民は、1885(明治18)年から始まり、この年までに約2万5千人に上っていた。その日本人移民の「生命と財産を守るため」というのが、表向きの理由だったが、女王側からの緊急要請があったとも言われています。

入港した「浪速」は、臨時政府には挨拶も行わなかったとされています。  
「浪速」は3ヶ月ハワイに留まった後いったん帰国、一年後に再び姿を現し、その際臨時政府は「建国一周年」を祝う21発の礼砲を要請したが、東郷艦長は「その理由を認めず」と突っぱねのは有名な話です。

その東郷平八郎が日露戦争における日本海海戦時にのっていたのが旗艦「三笠」ですが、大東亜戦争敗戦後連合国に接収されめぼしいものが取り除かれた後に米軍相手のキャバレーとなり東郷長官室はキャバレー・トーゴーとなったのは悲しい荒廃した日本の戦後史の一面です。

今日は鼻尖縮小術後3ヵ月後診察の患者さんの紹介です。
上段:術前です。
中段:術後2週間です。
下段:術後約3ヵ月後再診時です(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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術後2週間時にみられたギプスによるややつままれたような感じはなくなり自然な感じになってきました。 順調な経過です。

本日差し入れをいただきました。


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ありがとうございます。 深謝いたします。

2007-01-17 

本日は鼻孔縁挙上の患者さんのご紹介です。

今日は鼻孔縁挙上術の紹介です。
鼻孔縁挙上術は横顔からみた鼻の形を改善します。
どのように改善するかというと鼻の穴が側面から上向きになっているようにみえてしまうのを下向きになっているようにみえるようにすることによりさっぱりとした印象にします。

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さっぱりした鼻になりました。

2007-01-12

今日は紀元前49年ガイウス・ユリウス・カエサルが有名な言葉「賽(さい)は投げられた」共にルビコン川を渡った日として有名な日です。

人生には渡った以上突き進まねばならない「ルビコン川」が幾度かあります。

さて 今日は9が月ぶりに鼻尖縮小、小鼻縮小の術後の患者さんがヒアルロン酸をいれに御来院されましたのでご紹介します。

上段:術前です。
下段:鼻尖縮小(オープン法)、小鼻縮小(外側法)術後9ヶ月です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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良好な経過です。

上京したついでとはいえヒアルロン酸注入でも寄っていただけたとはうれしいです。
遠路はるばるお疲れ様でした!

2007-01-10

今日は成人の日ですね。
ご成人になられた方おめでとうございます。

今回はハイブリッドプロテーゼの患者さんのご紹介です。

鼻先を全体的にスジを通し下向きにむけたいとのご相談でした。

鼻を高くする方法 としては ヒアルロン酸、自家組織移植、プロテーゼ(L型、I型)
鼻先を下向きにする方法としては 鼻中隔延長術、軟骨移植、L型プロテーゼに自家軟骨を合体させたhybrid prosthesis(ハイブリッド プロテーゼ)留置術 などがあります。

カウンセリングの結果患者さんが選ばれた今回の手術方法はハイブリッドプロテーゼによる鼻先下降でした。

上段:術前です
下段:術後1週間抜糸時です (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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現時点では良好ですがとにかく心配なのがL型プロテーゼに生じやすい合併症です。
合併症として
1.感染(これはプロテーゼ全般にいえるリスクです)
2.L型プロテーゼの上方移動(鼻先が上向きに移動してくる可能性があります)
3.鼻尖部皮膚のの菲薄化(ひはくか:薄くなる事)
4.L型の脚の部分が鼻柱基部で違和感や痛みを起こす可能性
等のリスクがありこれらが心配です。
しかもこれらの合併症のやっかいなところは数年経て生じる可能性も充分あることです。
これらの合併症が生じた場合はいったんプロテーゼを抜去せざるを得ません。
(4に関してはL型の脚を短くする事で改善することがあります)

いつもL型プロテーゼを入れる場合はこれらの合併症がおこりませんように! と祈りながら手術を行っています。

今回もどうか合併症がおこりませんように!

本日の患者さんにお約束していた目の下の脂肪写真UPです

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このように脂肪がとれました。

2007-01-08

今日は鼻尖縮小術・鼻根縮小術をお受けになられた方の一週間後抜糸時検診の紹介です。

上段:術前です。
下段:術後一週間です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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鼻翼軟骨を用いて鼻先が多少下りるように軟骨移植を行っています。
経過は順調です。


本日いただいた差し入れです。

チョコレートをいただきました。

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美味しかったです。ありがとうございました。

ラーメンをいただきました。

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ありがとうございます。 是非作ってみます。

日本各地よりいらしていただいて各地のおみやげをいただけるのは幸甚の至りですが、気を遣っていただいて恐縮です。 どうか気をつかわないでください。

2007-01-06 

今日は鼻根縮小術の患者さんのご紹介です。

鼻根部の膨らみが気になるとの事で今回この手術をお受けになられました

上段:術前です。
下段:術後10日目本日再診時です。

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綺麗に細くなりました。 順調な経過です。

本日二の腕脂肪吸引された患者さんへのお約束した脂肪UPです。

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圧迫頑張ってください。 きっときれいに細くなります。

2007-01-05

今日は鼻尖縮小術の術後一週間目検診の方のご紹介です。

上段:術前です
下段:術後一週間抜糸時診察時です (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)


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鼻孔が正面から目立たなくなるように術中に採取した鼻翼軟骨を利用しています。

順調な経過です。 抜糸までの間お疲れ様でした。


12月25日

今日は欧米諸国ではキリスト誕生日(とされている)として祝う日ですが日本人としては志賀潔が赤痢の病原体を発見した日、大正天皇が崩御した日や1941年に香港のイギリス軍が日本軍に降伏した日として印象深いかもしれません。

キリスト教会のステンドグラスやクリスマス、サンタクロース、そしてディズニーランド等、欧米の文化には明るさや夢を感じさせるものが多いと思います。
それが世界的に広く広がり多くの人に受け入れられている理由だと思います。
日本の神道は厳かな雰囲気のイメージではありますがきらびやかさや明るさはありません。
また普遍的な教えの宗教ではなくどちらかというと土着の宗教になります。
残念ですが日本の宗教や文化的行事が世界に広まらないのはそこらへんに理由があると思います。 

明治維新以降文化的敗戦も喫し続けていた感は否めませんが車やウォークマンなどの物作りだけでなく最近はゲームや漫画のソフトの面でも日本の物が世界に広まりつつあり息吹を吹き返してきた印象があります。

サンタのお話のように例えばアマテラスオオミカミが子供達に贈り物を届ける楽しい物語が日本にもあったらなぁと思いつつ今後の日本文化の更なる興隆に期待してクリスマスを過ごしたいと思います。

2006-12-25

今日は鼻尖縮小術のオープン法の傷についてです

鼻尖縮小術にはオープン法とクローズ法があります。 それらの長所短所をあげると


オープン法
長所:視野が良好なので確実な手術ができる。 手術時間がクローズ法と比較し短時間で終わる。
短所:鼻柱を切るため同部位に傷がつく。


クローズ法
長所:鼻柱を切らないため表に見える傷がない。
短所:鼻翼軟骨を片方の鼻孔から引き出して操作するため視野がやや不良であり、奥の方まで軟骨を処理する場合にオープン法と比較して操作しにくい。 手術時間がオープン法と比較して長くかかる。

というところでしょうか。

オープン法の選択を考慮されている患者さんが必ずご質問なさらるのは「オープン法の傷はどのくらい目立つのですか?」 というものです。

今回昨日御来院された患者さんのご協力の下にオープン法の傷の経過をご紹介します。

一列目:術前です
二列目:術後一週間抜糸時です
三列目:術後三週目検診時です
四列目:術後七ヶ月目検診時です (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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二列目の術後一週間抜糸時の写真では血のり等がついていてどこが傷だかよくわからないと思います。
三列目の下からみた鼻孔の写真で両鼻孔の間の鼻柱に赤い線が横切っているのわかると思います。 これがオープン法の傷になります。
四列目の写真になると近くでよく観察しないかぎりわからないぐらいに傷は周囲になじみます。

よってオープンで手術されても(体質にもよっては痕が目立つ可能性も否定はできませんが)ほとんどの場合、ご紹介した写真のように傷は目立ちません。

しかし傷はないにこしたことはありませんからクローズ法をご選択されるのも一つの方法です。
私の場合はかなり肉質が硬そうでしっかり確実に細くして差し上げたい鼻の場合はオープン法をお勧めする場合もありますが基本的にはすべてクローズ法を第一選択としています。ですから初回手術の場合は患者さんからオープン法で御依頼を受けてもクローズ法で仕上げてしまう場合も多いです。 しかし一度鼻の手術を受けていらっしゃる場合は癒着等の関係上オープン法でないと難しい場合が多いです。


今日は天皇誕生日です。
思えばわざと連合軍が現天皇(当時の皇太子明仁)の誕生日に処刑執行日を合わせて1948年に 極東国際軍事裁判で死刑判決を受けたA級戦犯7名が絞首刑執行された日です。

国内的には敗戦の責を問われるのはいたしかたがないかもしれませんが当時の国際情勢を鑑みても連合国側から事後法にて裁かれ死刑に処された方々は無念極まるものがあると思います。 連合国側からのいわば憂さ晴らしの私刑によって処された方々のご冥福をお祈りします。
これからも極東国際軍事裁判のような茶番劇が国際社会でおこらないように切に願います。

2006-12-23

今日は鼻尖術後一週間後抜糸時診察の患者さんがいらしたのでご紹介します

上段:術前です
下段:術後抜糸時です(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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抜糸までの間お疲れ様でした。 順調です。


本日クッキーを四枚差し入れに頂きました。

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ありがとうございました。

2006-12-22 

今回は鼻プロテーゼ、ハイブリッドプロテーゼ、鼻尖縮小手術の患者さんのご紹介です。

ご遠方からの御来院で鼻先を全体的に高くし下向きにむけたいとのご相談でした。


鼻を高くする方法としては 
ヒアルロン酸、自家組織移植、プロテーゼ(L型、I型)
鼻先を下向きにする方法としては 
鼻中隔延長術、軟骨移植、L型プロテーゼに自家軟骨を合体させたhybrid prosthesis(ハイブリッド プロテーゼ)留置術  などがあります。

カウンセリングの結果患者さんが選ばれた今回の手術方法は 鼻尖縮小手術とハイブリッドプロテーゼによる鼻先下降でした。

ご遠方からの来院なので感染等のトラブルが万が一生じた場合通院に困りますのでお近くの医院での加療をお勧めしましたが地元で適切なところがわからないとのことで、なおかつリスクをご理解の上で手術の御依頼をされましたので施術いたしました。

上段:術前です
下段:術後1週間抜糸時です (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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現時点では良好ですがとにかく心配なのがL型プロテーゼに生じやすい合併症です。
合併症として
1.感染(これはプロテーゼ全般にいえるリスクです)
2.L型プロテーゼの上方移動(鼻先が上向きに移動してくる可能性があります)
3.鼻尖部皮膚のの菲薄化(ひはくか:薄くなる事)
等のリスクがありこれらが心配です。
しかもこれらの合併症のやっかいなところは
数年経て生じる可能性も充分ある ことです。
これらの合併症が生じた場合はいったんプロテーゼを抜去せざるを得ません。

いつもL型プロテーゼを入れる場合はこれらの合併症がおこりませんように! と祈りながら手術を行っています。

今回もどうか合併症がおこりませんように!

2006-12-21 

今回は鼻尖縮小術および小鼻縮小術をお受けになられた方のご紹介です。

術後どのような経過を追って鼻が変化していくのかご質問を受けますのでご参考にしてください。

1列目・・術前です
2列目・・抜糸時です
3列目・・抜糸後2週間検診時です
4列目・・約2ヵ月後検診時です
5列目・・約3ヶ月後検診時です  (写真は患者様の快諾を得て供覧しています)

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ギプスを指示通りきちんと装着していただければ抜糸後2週間の時点での形態がそのまま保持されていくのがおわかり頂けると思います。 経過も順調です。

2006-12-18

今日は鼻尖縮小術の術後一週間目の患者さんのご紹介です。

鼻尖部両側のふくらみを改善したいとのことで鼻尖手術(クローズ法)を御希望されました。
上段:術前です
下段:術後一週間抜糸再診時です(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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ギプスを外した直後なので下からみるとやや不自然な印象がありますが徐々に自然な感じになっていきます。


・バッカルファット
バッカルファットってどんな脂肪なのですか? とよくご質問を受けるのでつい先日バッカルファットをとった患者の快諾を得て供覧します。

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卵の黄身サイズの脂肪塊で皮下組織の脂肪とは肉眼的に異なる脂肪の塊です。
たった卵の黄身サイズですが術後数ヶ月経つとかなり顔がしまった感じになります。


・二の腕脂肪吸引
本日二の腕と腕の付け根を吸引された患者さんの脂肪UP御希望があったのでUPします。

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麻酔液も含めてtotal約2700mlです。  きれいに細くなりますように!

2006-12-17

今日は鼻尖縮小術術後の経過の患者さんの紹介です。

鼻尖縮小術は昭和50年代末まで美容外科において一般的な手術ではありませんでした。
一般的な美容外科のメニューしたのは当時十仁美容外科にて新しい美容外科手術の研究開発に携わっていた現ライフクリニック院長の勝間田先生になります。
勝間田先生は口角つりあげ術、バッカルファット摘出術、鼻尖縮小手術、輪郭形成術を美容外科の一般的な手術にした日本の美容外科手術の発展における最も貢献した先生の一人になると思います。


今回ご紹介の患者さんは1.5ヶ月前に手術をお受けになられました。

上段:術前です
中断:術後2週間目再診時です
下段:術後1.5ヶ月再診時です (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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しっかりギプスを頑張ってつけていらっしゃったおかげで戻りは現在のところありません。 順調です。

2006-12-16

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