今日は1986年 に本年7月29日のブログでご紹介させていただいた杉原千畝(すぎうら ちうね)氏が鬼籍(きせき)にはいられた日になります。享年86歳でした。 合掌。
 
本日ご紹介の患者さんは太もも全周脂肪吸引をお受けになられた患者さんです。
上段:術前です。
下段:術後約2ヵ月後再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)


ズボンのサイズが太もも部分がLサイズからSサイズになられたとのことで大変お喜びになられていました。しかしお腹のサイズがSサイズのズボンだとおあいにならないとのことで今度はお腹の脂肪吸引を御希望されています。

太ももの完成まではあと4ヶ月ほどです。 予想としてはより細くなるはずです。 楽しみにしていてください。

2007-07-31

本日は脂肪排泄促進注射をお受けになられた患者さんのご紹介です。
 
上段:術前です。
下段:初回注射後約1年後の写真です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)



大転子後部の部位に脂肪が多くついており(上段写真においてピンクのマーカーにて囲ってある部位です)、そこの部位を中心に4回の脂肪排泄促進注射をお受けになられました。 すっきりとされた綺麗な臀部になられています。

2007-07-28

本日は脂肪排泄促進注射をお受けになられた患者さんのご紹介です。

上段:術前です。
下段:初回注射後より約半年後再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)



初回注射より計4回打たれています。 ご本人いわく「あまり効果がわからない」とのことですが打ち始めの頃と比較するとそれなりにスリムになられています。
しかしあと一回注射をして結果にご満足いかなければ脂肪吸引できっちり細く仕上げることを約束します。

2007-07-19

今日は太もも全周脂肪吸引をお受けになられた患者さんの経過紹介です。
上段:術前です。
下段:術後一ヵ月後検診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)



順調な経過です。これからもっと細くなっていきます。 術後6ヵ月後が完成の頃になります。

2007-07-15

今日は内もも脂肪吸引をお受けになられた患者さんのご紹介です。
 
上段:術前です。
下段:術後1年5ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)


内ももの余剰肉がなくなりすっきりしました。 順調な経過です。

2007-07-14

今日は大東亜戦争中の1943年にソロモン諸島コロンバンガラ島沖で発生したコロンバンガラ島沖海戦にて日本海軍が米国海軍に勝利した日になります。
 
本日ご紹介の患者さんは下腹部の脂肪吸引をお受けになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後約1年6ヵ月後再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)



順調な経過です。 下腹部がすっきりしました。

2007-07-12

今日は1893年に日本が世界に誇る真珠王:御木本幸吉氏が初めて真珠の養殖に成功した日になります。
 
本日二の腕の脂肪吸引された方のご要望により脂肪吸引のUPです。
約1000ccの吸引です。 しっかり細くなることを保証します。 
 
本日お心遣いを頂きました。


おいしかったです。 ありがとうございました。 どうかお気を遣わないでください。

2007-07-11

今日は太もも全周脂肪吸引をお受けになられた患者さんのご紹介です。
 
上段:術前です。
下段:術後約半年後再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)
ふくらはぎの脂肪吸引もこの間されています。
術後約半年を経たのでほぼ完成です。
 
最近、患者さんとカウンセリングで患者さんから私のブログの○月○日の症例について・・・と話をされることがあります。 その会話の中で気がつき、ご留意して頂きたく思った点はここに載せさせていただいている写真はすべてが最終形(完成形)であるというわけではないということです。 徒然なるままに一美容外科医の日々の臨床の一部を患者さんのご厚意のもとにご紹介させていただいているものであり完成形の紹介を主目的に記載、掲載しているものではありません。 手術の完成までは通常半年はかかります。 よって術後1週間や術後1ヶ月はまだまだ変わる可能性があることをご了承ください。 とくに小鼻縮小や輪郭の手術、脂肪吸引や移植等は術後1ヶ月では完成形とはいえません。
 
 
本日、ずっと観たかった映画をみてきました。


・・・・・・。 三年分ぐらいの涙を流しました。 感無量です。

2007-06-21

今日は1924年にアメリカ合衆国でいわゆる排日条項を含む移民法が成立した日になります。
施行日は同年7月1日になります。
 
この排日移民法の成立に対し同年の大正13年5月31日 アメリカ大使館に隣接する空き地で割腹自殺を遂げた無名の青年がいました。
 
「生きて永く貴国人に怨みを含むより、死して貴国より伝えられたる博愛の教義を研究し、聖基督の批判を仰ぎ、併せて聖基督により、貴国人民の反省を求め…」
と遺書を残し、アメリカに抗議しての行動でした。
 
しかし、氏素性が判明するものを何も持たなかったために、無縁仏として「無名烈士」として赤坂の圓通寺に葬られる予定でしたが6月7日、貴族院や衆議院の議員や民間の有志ら370余名を発起人として、両国の国技館において対米問題国民大会が開催され、その大会にて無名烈士の国民弔祭会の執行が決議されました。翌日の6月8日無名烈士国民弔祭会が斎行され当日の参列者は3万人とも言われています。葬儀の後、無名烈士のご遺体は、現在の青山霊園に埋葬されました。
 
当時の世論、特に新聞社は「国辱」と強く反応し、キャンペーンが繰り広げられる一方、日米開戦説が叫ばれました。
 
この17年後の1941年に日本は米国を相手に大東亜戦争を戦う決意をすることになります。
 
本日ご紹介の患者さんは二の腕の脂肪吸引を行いその脂肪を乳房に移植された方です。
上段:術前です。
下段:術後2ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)



しこりもなく定着も良好で順調な経過です。

2007-05-26

昨日はかつてルパン三世にでてくる 峰 不二子 のようなボディーであったというご婦人から峰 不二子ボディーを取り戻すべく腹部脂肪吸引をしたいとのご依頼をお受けしました。
 
術前の差し入れはお断りお願い申し上げているのですが「吸引中に先生が低血糖になっては困る」というわけのわかるようなわからないような理由により差し入れをいただきました。
 
はちみつカステラです。
抹茶きなこねじりです。
ジュースにはうるさいという峰不二子さんがイチオシのももジュースです。
確かに他のももジュースにはないももの味わいがありました。
 
峰不二子さんからUP依頼された吸引脂肪です。


麻酔液込みで約5000ccになります。
峰不二子ボディーが取り戻せますように!

おかげさまで低血糖にならずに最後まで無事手術を終わることができました。
お心遣いありがとうございました。
しかし 気を遣っていただかなくても最後までやりぬきますのでどうか気を遣わないでください。
恐縮です。

2007-05-24

本日ご紹介の患者さんは二の腕の脂肪吸引をお受けになられた患者さんです。

上段:術前です。
下段:術後約一年です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

順調な経過です。

2007-05-16

1942年の今日から4月9日まで戦われたセイロン沖海戦で、日本海軍が英国東洋艦隊に完勝した記念すべき日です。
 
しかしこの海戦で南雲機動部隊の空母赤城が攻撃換装中にイギリス空軍機の接近に気づかず、空襲されたという事件がありました。幸運にも命中はせず事なきを得ましたが、これらの教訓を生かせず、後にミッドウェー海戦で大敗北を喫する事になったのがかえすがえすも残念でなりません。 
 
今日は臀部および大腿全周の脂肪吸引をお受けになられた患者さんのご紹介です。
 
上段:術前です。
下段:術後一ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。


脂肪吸引の完成までは約半年かかりますが順調に細くなってきています。
半年後が楽しみです。

メイヨー兄弟の格言
Charles・H・Mayo
25.医学は創世記から16世紀へと世界を導きました。疑問への答えは権力者から得るものではなく、実験によって立証されるものだと主張する強さと勇気をもった実証派の学者たちを育てた時代でした。
William・J・Mayo
25.人は70歳代になると自分が保守的になっていることに気づきます。

2007-04-05

本日ご紹介の患者さんは二の腕の脂肪吸引をお受けになられた患者さんです。

上段:術前です
下段:術後7ヶ月目再診時です(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)


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順調な経過です。 

昨日差し入れをいただきました。

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法律を専門にしていらっしゃる患者さんからの差し入れで予備自衛官が文民扱いになるか否かについてかの有名な左藤幸治先生の「憲法」(第三版)と芦部信喜先生の「憲法」(第三版)と注解法律学全集憲法Ⅲからの要点抜粋プリントでした。

読んでみたところ文民の定義に関しては学説が入り乱れておりいわゆるcontroversialな箇所であるようです。政府見解では「文民」とは旧陸海軍の職業軍人の経歴を有する者であって、軍国主義的思想に深く染まっていると考えられる者、および自衛官の職にある者以外の者であるらしいのですが予備自衛官および予備自衛官補も自衛官の職にあるものとみなされるか否かは私にはわかりません。 

予備自衛官への申し込み用紙はすでに提出したので現場で突っ込んで聞いてみようと思います。 この質問のせいで面接で落とされるのはいやなので合格したら訓練最終日に挙手をして質問でもしたいと思います。

ところでこの差し入れをしてくださった患者さんとの手術中の話題にクリニックの所在地に関する話題がらみで「麹町事件(麹町中学校内申書事件)」があがりどうして知っているのですが?といぶかしがられましたが自分でもどうして知っていたのだろうと後で自分の記憶のルーツをたどったらどうやら判例百選という本を昔読んだときにでてきたようです。 世の中の森羅万象を知り尽くしたいと書物を読み漁ったときの断片的なおぼろげな記憶でした。 でもその当事者の16歳がいまや社民党の議員さんだとは患者さんから教えて頂くまでは知りませんでした。16歳で千代田区教育委員会を提訴し日本の一重要判例を作り出す原因となったたかの人は保坂 展人(ほさか のぶと)氏だと後で知りました。勉強になりました。 
ありがとうございました。

2007-03-23

今日は二の腕の脂肪吸引および側腹部脂肪吸引をお受けになられた患者さんのご紹介です。
上段:術前です。
下段:術後約3ヶ月です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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順調な経過です。

さて最近日々が怒涛のごとく過ぎていきます。
日々に流されないために自分のために自分が知りたかったことをちょっとずつメモさせていただきます。
米国にメイヨークリニックという世界一と評される病院があります。歴史はイギリス出身の外科医であるDr. WW Mayoが1863年、南北戦争で傷ついた兵士たちを治療する施設をミネソタ州のロチェスター市につくったことから始まります。1880年代には彼の息子たちチャールズ・H・メイヨーとウィリアム・J・メイヨーが外科医として加わり現在のメイヨークリニックの基礎を作り上げました。俗に言われるメイヨー兄弟とはこの二人の医師になります。
彼らのの珠玉の知恵を学ぶため格言集を一日ちょっとずつ味わっていきたいと思います。

Charles・H・Mayo
1.20世紀において進歩のもとになるのはシステムと組織、いい換えればチームワークである。
William・J・Mayo
1.外科手術というものは、手先の器用さにかかわるものであるというよりも精神的把握力により関わるものである

2007-03-08

今日は2001年(平成13年)2月10日8時45分(日本時間)、アメリカハワイ州のオアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」が浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没した事件がおきた日です。乗務員の35人のうち、えひめ丸に取り残された教員5人、生徒4人が死亡して、救出されたうち9人がPTSDと診断されたとされています。

英語圏のマスコミ報道ではえひめ丸について「漁船」と紹介され、高校生が乗っていた実習船であることを報道した記事は少なかったと言われています。

グリーンビルの元艦長スコット・ワドル(当時中佐)は事件の責任について軍法会議で審議されることはなく、司令官決裁による減棒処分を受けただけで、後に軍を名誉除隊しました。2002年12月には愛媛県宇和島市を訪れ、同市内にあるえひめ丸慰霊碑に献花しました。しかし、2006年にワドルはこれまで遺族の意向などで参加できなかったハワイでの追悼行事については「来年の七回忌にぜひ参加させていただきたい」と述べたが彼は七回忌には参加しませんでした。

ジョージ・ウォーカー・ブッシュ米大統領は電話で森首相に謝罪し米国の責任を全面的に認めたと言われておりジラード事件の頃よりはまだ上等な扱いを受けたかもしれませんが現場で積極的な救命活動を行わなかったワドル氏の責は重いと思います。

昨日腕の脂肪吸引された方の脂肪のupです

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きれいに細くなりますように!

2007-02-10

今日は50年前に悲しきジラード事件が起こった日です。

1957年年1月30日、群馬県相馬が原で、立ち入り禁止区域のアメリカ軍射撃練習で出る薬莢を拾っていた日本人主婦がいました。当時の日本はまだまだ貧しく射撃演習場ででる鉄くずを拾って生活していた基地周辺の人々が多くいました。彼女の背後からジラード特務二等兵が「ママさん大丈夫?」と呼び寄せ10メートルの距離から発砲し、主婦は即死しました。

最初米軍は日米協定をもとに米軍に裁判権があると主張しましたが大東亜戦争敗戦後、虫けらのごとく日本人の命をみなす米兵の諸行為に業を煮やしていた日本の世論は「明白な殺人行為にまで治外法権を認めなければならないのか!」と沸騰しました。
米国に住むジラードの家族が「裁判はアメリカでやるべきだ」と訴えを起こしましたが結局、ジラードは、日本で傷害致死罪で起訴されました。
しかし懲役3年・執行猶予4年の有罪判決を受けただけでした。これに対しては日本の検察側は控訴せず、ジラードは米軍を不名誉除隊した後、日本人女性と結婚し米国に帰国しました。
この主婦の遺族に支払われた米軍からの見舞金はわずか62万円でした。

その後も日本の各地で同様の事件はおこり1958年の時点で駐留米軍による日本人の被害件数は正式に届けられたものだけでも9998件にも及んでいます。

被占領国家の辛酸は加害国は都合が悪いから、被害国は屈辱のため忘れ去ろうとします。

50年前の駐留米軍による狼藉行為の結果一命を失われた坂井なかさんのご冥福をここにお祈りします。


今日は二の腕脂肪吸引術後の患者さんのご紹介です。

上段:術前です
中段:術後約1ヶ月です。
下段:術後約4ヶ月です。  (写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)


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ほぼ完成形です。 順調な経過です。

2007-01-30

今日のご紹介患者さんは顔面の脂肪吸引になります。


左: 術前です。       右:術後約4ヶ月再診診察時です。

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口内からの吸引のため傷は体表に生じていません。 スマートな雰囲気になられて笑顔もより上品な感じになられました。 順調な経過です。

2007-01-21

今日は旧暦でいえば(1854年)嘉永7年1月16日 アメリカのペリーが7隻の軍艦を率い、開国を求めて東京湾に再来した日です。

これをきっかけとして日本は必死の自立自存に向けた格闘の日々が始まることになりました。

アメリカの砲艦外交によって開国させられた日本は約90年後にアメリカの武力により国土を焦土とされ降伏文書に調印させられました。

1945年9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ艦上で日本の降伏文書調印式が行われた際、ミズーリの甲板は二枚の星条旗で飾られました。一枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物、もう一枚は1853年の黒船来航時にマシュー・ペリーの艦隊が掲げていた物であり、90年越しの勝利としてその旗の前で調印式が行われ日本に屈辱を与えました。

まさに耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び今日の日本の繁栄があることを忘れてはならないと思います。

さて今日は二の腕の脂肪吸引のご紹介です。

上段:術前です。
下段:術後約1.5ヵ月後再診時です(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)。

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順調な経過です。
脂肪吸引は最終完成までは約6ヶ月かかります。

「吸引の際にできる傷はどのくらいの傷ですか?」と聞かれますのでこのような感じということで患者さんのご協力を得て供覧します(上の患者さんと別の方の写真になります)

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上の写真に矢印でさされた先の赤丸の中にあるのが吸引の傷です。 個人差はありますが約半年かけて目立たなくなっていきます。

2007-01-16 

本日は顎下脂肪吸引をお受けになられた方の写真のご紹介です。

上段:術前です
下段:術後です(術後約1.5ヵ月後です)

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綺麗な顎のラインになられました。

顎下の脂肪はダイエットしてもなかなか落ちにくいところです。 
脂肪排泄促進注射もよく効くところですが脂肪吸引でも安全に綺麗に仕上がる部位です。
顎下の脂肪を吸引する場合は1.6mmの細い吸引管にて吸引を行うため傷はほとんど目立ちません。


本日偶然週刊文春を手にして読む機会がありました。 そこに十七歳の硫黄島の著者である秋草 鶴次氏の硫黄島戦闘体験話が載っていました。 そこにはかの有名な星条旗が実は米国によってすり鉢山が占領された翌朝には降ろされ日章旗が掲げられており、それが再度星条旗に変えられたそのまた翌朝にも血で染めて作ったように見えた日の丸になったというエピソードが記載されていました。 どこまで事実なのか私には知るよしもありませんがもし事実ならイーストウッドの「硫黄島からの手紙」にそのシーンを載せて欲しかったと思いました。 それこそあの星条旗にまつわる様々な面を照らした本物の映画になったに違いありません。 
いずれにせよあの地獄のような戦場で祖国を守るべく戦ってくれた守備隊の方々に深く敬意を表します。

2006-12-14

今日は今から102年前の1904年、日露戦争の旅順攻囲戦で日本軍が203高地を占領した記念すべき日です。  東映映画の二百三高地(1980年)をごらんになられていない方は是非みてください。お勧めします。 さだまさしの歌が強烈に胸に染みます。日露戦争という世界中の誰もが日本のような有色人種の弱小国家に勝ち目のないと思っていた戦いに勝利し有色人種に希望を与え日本を守った当時の日本人の御祖先に敬意を表します。

今日は脂肪排泄促進注射の紹介です。

脂肪排泄促進注射は世間では脂肪溶解注射と呼ばれています。
フォスファチジルコリンを主体とした溶液を注入することにより同部位の脂肪の減少を期待する療法ですが原理的に脂肪細胞を溶かすというよりも細胞中の脂肪の排泄を促進するのが脂肪量が減る理由であろうと考えていますのでそのように呼んでいます。 配合薬は脂肪細胞に脂肪を蓄積するのを阻害する成分と脂肪細胞から脂肪を排泄するのを促進する成分を組み合わせて調合して使用しています。

経験的に顔に注射すると少ない回数でみなさん満足のいく結果が得られています。
 ふくらはぎには効きが悪いのが実情です。

患者さんが希望される部位は顎下、頬、二の腕やお腹、太もも、お尻が多いです。

お腹の症例です。
上段:注射前です
下段:注射5回後です(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

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手術をせずに部分的に痩せられるのが利点である反面、効果に個人差があり、かつ効果がでるまで時間と回数を要するのが欠点です。 

私は自分が注射をした場合は5回まで注射をしてもし効果に不満足な場合は無料で脂肪吸引をするようにしています。 何故ならいくら効果に個人差があるとはいえ効かないもしくは効きが悪いのを「体質のせいですね」とするのは時間と費用を費やしている患者さんにとっては詐欺みたいなものだからです。しかしこの注射を御希望されるかたは脂肪吸引が恐い等の理由で選ばれる方が多いので脂肪吸引で最後まで保証するのもある意味矛盾点があり悩ましいところです。

2006-12-05

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