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このブログを書き始めて2年が経ちました。皆様のご協力を得て2年続けることができました。
 
 
思えば2年前に地方の病院での当直中にふと思い立って書き始めたのが始まりでした。
救急当直は医師たるものの責務だと思い積極的に行っておりましたがその後大阪高等裁判所第5民事部の下した判決を知り、救急当直は控えるようになり当直といえば麻酔科当直となり救急車が到着するまでのあのアドレナリンが全身を駆け巡る感覚が遠ざかって久しくなりました。 2年前のあの頃を懐かしく感じます。 あの判決を知って救急当直を止めた同僚医師を何人も知っていますが救急医療を救急専門医のみに担わせるのは現状では無理だと思います。
完全無欠の能力を有した救急医のみ救急の現場で医療行為をおこなうべきという論は理想論でしょう。
  
現状では残念ですが医学的に正しい医療を行っても治療結果がよくなければ判決はもとよりのこと示談や和解でもその点を責められます。それは医療行為を結果論に基づいて判断されるからです。 医療は不確実な事象であり、ときに予期せぬ経過や結果をきたすことは衆知の事実ですが、治療結果が良くなければ結果論のみが大きく浮かび上がり、不良結果回避、説明義務、危険予見などの義務違反があたかも治療開始時からわかりきっていたように論じられます。
臨床現場においてどの医師も叡智を絞って診断しその治療方針を貫き実行していると信じます。その時点で医学的に正しい選択をしたのなら堂々と主張すべきだと考えます。
言葉や中傷に医療が負けてはいけないと思います。 その点では大野事件においては加藤医師は頑張られたと思います。 
 
大野事件でも問題になりましたが大学の教員はえてして権威主義であり問題となってる分野の臨床の知識も経験もないのにあるフリをしてわけのわからない意見書を書いたりする場合があります。 意見書を書く資格があるのは肩書きではなく日々その分野の臨床に携わっている医師であるべきです。 
 
医療は公的なものであり、日本にとってよりよい医療環境を形成するためにも医療の現場におけるさまざまなトラブルを解決する場として、対立の場である裁判ではなく互いに問題点を理解し解決しあうADR制度がより認知され充実されることを願います。
 
閑話休題
 
 
昔、自分の周りの多くの女性が竹島問題も北方領土問題も大東亜戦争でいったいどんな戦いがあったことかも知らないことにもどかしさを感じていましたが日本の今の学校教育が政治的側面の問題もあり近代史をあまり教えないところに遠因があると思います。
 
もどかしさを感じているぐらいなら自分がそれらの認知の広まりにすこしでも貢献できればと色々ブログに記載させていただきました。
 
各国民が世界平和を希求しお互いにお互いを尊重しあえる人間になるためにはそれぞれの国の現在に至るまでの国際社会における歴史の認知が必要だと思います。 歴史というものは切り口によりさまざまな見方があり私の紹介する歴史の切り口にも批判があってしかるべきだと思います。
 
しかし 私のような切り口での歴史の見方もあるしそのように見る者もいるということをこのブログをきっかけとして知ってくれればそれだけでも存在意義があったかな と思います。 
近代史だけだと女性には素通りされてしまうかもしれませんので多くの女性が読んでくださることを願って美容医療に関しても紹介させていただきました。病気の人を癒す技術ではなく健康な人にメスを入れる美容外科的処置は日本では長く蔑まれてきた印象があります。実際、日本には古来より「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」と言われてきたこともあるように日本人には体にメスをいれるということが非常な抵抗感があったことと思います。しかし医学が発展し社会のさまざまな情勢が変わった現在、私は美容外科的処置でより自信と喜びに満ちた人生を歩むことは人生における一つの選択肢であると考えますしそれを通して一人でも多くの人の一助となれれば幸甚の至りと思います。 
 
マレーの虎とも言われた山下 奉文(やました ともゆき)大将(戦後マニラにて連合国により処刑)の遺言
「−人間の性根は学校に通う前に、わが家の母の教育で作られる。  自分の遺言は、婦人の教養を高めて、よい母を作ること!  これを祖国に望むだけだと伝えてくれ」
 
僭越なのは百も承知ですがこのブログを通して皆様に色々なことをお伝えできることを願っています。
 
 
本日ご紹介の患者さんは乳頭縮小の御希望にて乳頭縮小術(乳管温存法)をおうけになられた患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後1ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
順調な経過です。
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。

2008-09-10

本日ご紹介の患者さんは鼻尖縮小術(クローズ法)をお受けになられて一年後再診の患者さんです。
 
上段:術前です。
下段:術後一年再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
ご本人としては戻った気がするとの事で再手術をしたいとのことでした。
 
これ以上細くする処置をすると鼻の表面に凹凸が生じる可能性があるので慎重に判断なさってください。
 
先日お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうか御気を遣わないで下さい。

2008-09-09

今日は1943年に日独伊三国同盟の同盟国であったイタリアが連合国への降伏を受諾した日になります。
また1951年に日米安保条約が調印された日になります。

本日ご紹介の患者さんは鼻翼基部の食い込んだ印象に対して鼻翼基部プロテーゼ、鼻を小さくしたいとの御希望に対して鼻尖縮小術、小鼻縮小術をお受けになられた患者さんです。

上段:術前です。
下段:術後2ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)


「順調です。」とのことで順調な経過です。


先日お心遣いをいただきました。

山梨のぶどうでした。 深謝いたします。 どうか御気を遣わないで下さい。

2008-09-08

今日は1945年に日本軍の沖縄守備隊の降伏調印が嘉手納で行われた日になります。

本日ご紹介の患者さんは小陰唇縮小形成術、陰核包皮縮小形成術をお受けになられた患者さんです。

左:術前です。 右:術後3ヶ月再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)


「受ける前はすごいコンプレックスで温泉とかも楽しめなかったけど今はホントスッキリ!!やってよかったです。ありがとうございました!!」と術後アンケート用紙に書いてくださってました。

最初のカウンセリングから手術まで約1年程度を要されていました。 手術に対する不安等色々お悩みだったと思います。 

多くの方がキズ痕を気にされてご質問されますが埋没二重形成術に使うような細い糸で細かく丁寧に縫合すれば通常は手術痕もほとんどわからなくなるぐらいにきれいに完治します。 

先日お心遣いをいただきました。

ありがとうございます。 どうか御気を遣わないで下さい。

2008-09-07

本日ご紹介の患者さんは正面から見える鼻孔を目立たなくしたい、横から見たときにブタ鼻に見えないようにとの御希望にてご相談にこられた患者さんです。
鼻中隔延長術を行っている他の美容外科にて相談するも「無理でしょう。」と断られたとの事でした。 実際診察を行うと皮膚は厚く、鼻全体が硬く、指で鼻先をおしさげてようとしてもほとんど下がらず他院の先生のご判断と同様に私にも手術はかなり困難に思われました。 しかし強い御希望にて最終的にカウンセリングの結果、お鼻に対して鼻中隔延長術(肋軟骨使用)、鼻尖縮小術、鼻孔縁延長(下降)術、鼻プロテーゼ留置術をお受けになられました。
  
上段:術前です。
下段:術後1ヵ月後再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
(お鼻が)「もっと細くなりたいです。」とのことでした。 
強度的な問題よりこれ以上鼻先を細くするのは危険と術中判断したためこの細さになっています。 私としては現時点ではこれ以上細くしたいとの御希望ににお応えすることができません。 半年から一年経て手術部が治癒し全体の組織が柔らかくなった時点でまだその御希望がおありなら検討しましょう。
 
 
 
鼻中隔延長術のリスク
1.鼻先がゆがむ可能性
2.鼻中隔軟骨に移植した軟骨の体積にて鼻腔が狭くなり下からみると鼻中隔が膨らんでみえたり呼吸がしずらくなる可能性(他院で手術されてこの症状でお悩みの方々が何人も相談にこられています。)
3.時間を経てから鼻先の皮膚が薄くなる可能性(鼻先の皮膚の下が軟骨だからといってプロテーゼと異なり安全という保証はないと思います。)
4.採軟骨部(耳や肋骨部)の傷
5.鼻先が下がりすぎ、高くなりすぎという不満が生じる可能性または下がり足りないという不満が生じる可能性。
6.限界まで鼻先を下げて欲しいとの患者さんの希望に対してオープン法でそれに応えるべく手術を行うと創部の血流不良にて癒合不全、感染が生じる可能性。
2008-09-06
今日は1905年 にポーツマス条約が締結され日露戦争の終戦日になります。日清戦争と比較にならないほど多くの犠牲者や膨大な戦費を支出したにも関わらず、直接的な賠償金が得られなかったため、世論の非難が高まり、暴徒と化した民衆によって内務大臣官邸、御用新聞と目されていた国民新聞社、交番などが焼き討ちされる事件・いわゆる日比谷焼打事件がおこりました。
 
本日ご紹介の患者さんは頬をすっきりさせたいとの御希望により約一年半前にバッカルファットを摘出され、その結果に満足されるももっと頬をすっきりさせたいとの御希望にて顔面脂肪吸引もお受けになられた患者さんです。
 
左:術前です。 
中:バッカルファット摘出後15ヵ月後再診時です。
右:バッカルファット摘出後19ヵ月後、顔面脂肪吸引4ヵ月後再診時です。
(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)


いい感じとのことで順調な経過です。
脂肪吸引の完成は術後約半年後になります。

バッカルファット(頬脂肪体)とは頬筋と咬筋の間にある脂肪の塊で淡黄色の皮下脂肪と異なり濃黄色の卵の黄身程度のサイズのものです。

このバッカルファットが美容外科領域で手術の対象となったのは昭和60年代前半の日本の美容外科の金字塔であった十仁美容外科に始まります。 十仁美容外科の診療部長先生であった勝間田先生(日本の美容外科領域でエラや顎骨削りを始めた先駆者である先生です。現在ライフクリニック院長 )がエラ削りの手術の際、バッカルファットを取り除いた症例にて頬がキュッと締まった感じになるのを発見したのがきっかけて美容外科手術の一法として取り入られるようになりました。 現在美容外科でバッカルファットの手術を扱っているところの多くはの勝間田先生の薫陶を受けた先生方です。

この手術は適応を誤ると老けた感じになりますので適応の適切な見極めが重要となります。

2008-09-05

今日は1945年にソ連軍が9月3日から5日にかけて北方領土の歯舞群島を占領開始した日になります。
本日ご紹介の患者さんは婦人科脱色治療をお受けになられた患者さんです。
左:施術前です。
右:脱色治療1クール(3ヶ月)施術終了時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)


きれいに脱色され順調な経過です。 脱毛をされたらより脱色の効果がわかりやすいと思います。

先日他院にて脱色治療後にかえって黒ずんでしまったので治療してほしいとご遠方よりご相談にこられた方がいらっしゃいました。 診察上は炎症による色素沈着によるもので炎症が落ち着くまでの半年間は私には治療不能の状態でした。 不適切な薬の使用は炎症をおこしかえって色素沈着を起こす原因になります。色を薄くする目的で高いお金を払って濃くなってしまったら元も子もありません。 肌の治療は万人に合う治療でもありませんし個人差があるのでなかなか難しいのですがこまめな診察が必要だと個人的には思います。 
脱色治療の薬の使用になれた医師にこまめに診察をしてもらい適切に薬剤変更や薬剤の濃度変更をしてもらっていくのがよいでしょう。

2008-09-03

今日は1945年 に重光葵(しげみつ まもる)外相以下9名の日本代表団が東京湾に浮かぶ連合国軍戦艦ミズーリ号艦上で降伏文書に調印し、連合国軍に公式に降伏した日なります。
 
降伏式中ミズーリの甲板は二枚の星条旗で飾られていました。一枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物、もう一枚は1853年の黒船来航時にマシュー・ペリーの艦隊が掲げていた物であり、約90年越しの勝利として日本に二度目の屈辱を与えました。
 
このミズーリは大東亜戦争末期の昭和20年(1945年)4月11日午後2時43分、鹿児島県薩南諸島喜界島沖で、一機の零式戦闘機によって右舷艦尾に特攻されています。無念ながら爆弾は炸裂せず機体のみが激突後砕け散りミズーリにかすかなへこみのみを残しました。
 
この特攻機は鹿児島県の鹿屋(大隅半島)を飛び立った「第五建武隊」(計十六機)のうちの一機、石野節雄・二等飛行兵曹(当時十九歳・岡山県出身)が操るゼロ戦でした。 
 
<特攻機がミズーリに体当たりする直前>
無念ながら日本は敗戦しましたが我国の現在の繁栄は日本の自主独立と東亜の安定のために命を捧げて戦ってくださった方々および連合国軍の非人道的な虐殺行為で亡くなった多くの方々の犠牲の上に成り立っています。 
 
深く深く深謝するとともに追悼の意を表します。
 
本日ご紹介の患者さんはほうれい線を目立たなくするためにほうれい線にSubQヒアルロン酸注入術をお受けになられた患者さんです。
 
左:術前です。 右:術直後です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)


ほうれい線は目立たなくなり順調な経過です。

2008-09-02

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