ドレスデンには目だった軍施設もなく、「エルベ河畔のフィレンツェ」の別名のとおりドイツ最高のバロック様式の美しい街並みと数多くの文化財が知られており、人々はドイツの中でも“ドレスデンだけは空襲に逢うことはない”と信じていました。また無防備都市宣言をしていたため、ドイツ軍も空襲に対してはほとんど無警戒であり高射砲などの兵器は備えていませんでした。
この無防備都市宣言とは1899年、ジュネーヴ条約追加第1議定書の規定の前身にあたるハーグ陸戦条約の第25条に「無防備都市、集落、住宅、建物はいかなる手段をもってしても、これを攻撃、砲撃することを禁ず」と定めらたものから由来しています。
2月14日がくるたびにドレステン大空襲、東京大空襲、広島長崎原爆投下等無差別大量虐殺を組織的に行った連合軍が極東軍事裁判で日本に対して一方的な諸判決を下した理不尽さを思い出さずにはいられません。
本日ご紹介の患者さんは14か月前に顎骨骨切り術を、12か月前に下口唇縮小術をお受けになられた患者さんです。
上段:術前です。
下段:再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)

11か月ぶりの再診にいらしてくださいました。

花丸御満足ということで順調な経過です。
お心遣いをいただきました。

深謝いたします。どうか御気を遣わないでください。
遠路はるばる意を決して御来院され手術をお受けになられていた術前術後の頃を私も思い出しました。一年後の現在は第二の人生を歩み始められ御幸せになられているとの報告がてら再診に来てくださり感無量です。
私もあなたのことは一生忘れないでしょう。 幸多き人生を願っています。
2009-02-14