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今日はペニシリン記念日です。 1941年2月12日に、イギリスのオックスフォード大学附属病院が、世界で初めてペニシリンの臨床実験に成功したことに由来しています。
このペニシリンの発見は1929年、フレミングがブドウ球菌の培養実験中にコンタミネーション(汚染)により生じたアオカビ(Penicillium notatum)のコロニーの周囲に阻止円(ブドウ球菌の生育が阻止される領域)が生じる現象を発見したことに端を発しています。このペニシリンの発見によって多くの人命が救われることとなりました。
日本では1944(昭和19)年、日本陸軍医学校と森永製菓が共同でペニシリンの開発に着手し、国産ペニシリン「碧素(ヘキソ)一号」を完成し戦争で傷ついた人々を救ったとされていますが実際は施設が空爆により破壊され生産量が非常に少なく恩恵を受けれた人々は少なかったようです。

第二次大戦中のこのころ、連合軍には急を要した開発テーマが3つありました。
レーダー、原子爆弾、そしてペニシリンの3つです。
なぜペニシリンかといえぱ、当時、戦死の直接の死因のほとんどは、実は負傷後の破傷風などの細菌感染によるものだったからです。

昭和18年12月に一隻の潜水艦が、同盟国ドイツから極秘裏に日本に帰港しました。この潜水艦が持ち帰った機密資料のなかに、一冊のドイツの医学雑誌『フォーチュン』がありました。雑誌中の小さな記事に着目した、時の軍医少佐・稲垣克彦は、当時東京帝大バイ菌学教室の助手であった梅沢浜夫に、記事を直ちに和訳するよう要求したのです。その記事とは、ベルリン大学のキーゼ教授による“Penicillin(ペニシリン)”なるものの臨床報告でした。

事の重大さに気が付いた稲垣軍医は軍上層部に国家プロジェクトによるペニシリン開発を進言するも黙殺されました。

昭和19年1月27日、朝日新聞の海外特派員からの記事が一面を飾りました。「敵英国のチャーチル首相、新薬ペニシリンで救命す」。肺炎で倒れたチャーチルが、ペニシリンによって奇跡的に救命したという情報であり、のちにこの記事は投与された薬はぺニシリンではないことがわかったのですがこの誤報によって、稲垣軍医の進言したプロジェクトは着手されることとなりその8ヶ月後に国産ペニシリン「碧素(ヘキソ)一号」が完成されたのです。

現在の日本は世界の抗生物質生産のおよそ3分の1を占める抗生物質生産大国となっています。

ペニシリンを最初に発見したフレミングの偉大さとそれを日本に導入し多くの日本兵士の命を救うきっかけを作った稲垣軍医に敬意を表したいと思います。

本日ご紹介の患者さんは小鼻縮小術(若先生)をお受けになられた患者さんです。

上段:術前です。
下段:術後3週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています)


「以前より自然な感じで小さくなったなぁと実感できてうれしいです。 思っていたよりも傷が目立たなくて綺麗です。 ありがとうございました。」 とのことですが「やっぱりもう少し小さくしたいと思っているのですがもう一度手術をするとなるとどのくらいの期間をあけたほうが良いのか知りたいです」ともご感想が書いてありました。

私は個人的には現在でお綺麗な状態ですしお鼻の穴の形が不自然になるリスクを考えれば再手術をしないほうがいいのではないかなぁと写真からでは思います(私は直接御会いしていないのでわかりません)。
でも、詳細はまたこんど再診時に若先生と相談してみてください。

2009-02-12

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