今日は1960年に(新)日米安全保障条約が締結された日です。この時締結された日米地位協定はさまざまな問題を内包しており現在にいたるまで改正が叫ばれ続けていますが未だ改正されていません。
この日米地位協定の大きな問題点として日本で裁判を受けるべき被疑者であっても、アメリカが先にその身柄を拘束した場合、身柄が引き渡されるのは検察により起訴がなされた後であるため十分な捜査ができない点や米軍が日本に施設を返還する際に現状回復義務を負わない点、および米軍の持つ「財産」について、日本の警察が捜索や検証を行う場合、米軍の「同意が必要」とされているため事故機も「財産」とみなされ、米軍はこれを根拠に日米合同の現場検証の拒否を通告できる点などが挙げられます。
1995年9月に沖縄県で起きた米兵による少女暴行事件における被疑者米兵の身柄引き渡し拒否や2004年8月13日に起こった沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場周辺で発生した米軍ヘリ墜落事故にて沖縄県警の現場検証さえの拒否などまさに国家主権が侵害される状況が現実におきてしまっています。
米軍基地の75%が沖縄に集中し狼藉をはたらく米兵の被害に沖縄の人々は直面しています。
大東亜戦争終盤の沖縄戦において大田海軍司令官が6月13日に玉砕する前に海軍次官に打った電報はあまりにも有名です。電報の最後の「沖縄縣民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」 に大田司令官の全ての思いが込められていると思います。
現代語訳を参考までに載せておきます。
「大田司令官の電文
次の電文を海軍次官にお知らせくださるよう、取り計らいください。
沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告されるべきですが、県はすでに通信する力はなく、三十二軍(沖縄守備軍)司令部も又通信する力が無いと認められますので、私は県知事に頼まれた訳ではありませんが、現状をそのまま見過す事が出来ないので、代って緊急にお知らせします。
沖縄に敵の攻撃が始まって依頼、陸海軍とも防衛のための戦闘にあけくれ、県民に関してはほとんどかえりみる余裕もありませんでした。
しかし、私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためにかりだされ、残った老人、子供、女性のみが相次ぐ砲爆撃で家や家財を焼かれ、わずかに体一つで、軍の作戦の支障にならない場所の小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下でわまよい、風雨にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。
しかも若い女性は進んで軍に身をささげ、看護婦、炊事婦はもとより、砲弾運びや切り込み隊への参加を申し出るものさえもいます。
敵がやってくれば、老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されてしまうからと、親子が生き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。
看護婦にいたっては、軍の移動に際し、衛生兵がすでに出発してしまい、身寄りの無い負傷者を助けて共にさまよい歩いています。このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。
さらに、軍において作戦の大きな変更があって、遠く離れた住民地区を指定された時、輸送力のない者は、夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。
これらをまとめると、陸海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約を強いられ、ご奉公するのだという一念を胸に抱きながら、ついに報われることなく、この戦闘の最後を迎えてしまいました。
沖縄の実情は言葉での形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も六月一杯を支えるだけということです。
沖縄の県民はこのように戦いました。
県民に対して後世特別のご配慮をしてくださいますように。」
この電報を打ち玉砕した大田司令官の無念の思いに応えらるだけの配慮を戦後の日本は沖縄にしてきたでしょうか?
現在の国際情勢の中で核兵器をもち自衛することが現実的選択肢として困難な日本の現状において安保条約を即時廃棄し沖縄から米軍をなくすことは非現実的な選択肢かもしれませんが、そうであればこそせめて日米地位協定が改正されて日本の主権が遵守され日本人が安心して住める国になって欲しいと願います。
本日ご紹介の患者さんは正面からみて鼻穴が見えにくくなるように鼻先を下げたいとのご希望にてカウンセリングの結果、鼻中隔延長術、鼻尖縮小術をお受けになられた患者さんです。
●術前です。
●持参された御希望の鼻の形態です。
上段:術前です。
下段:術後約1週間抜糸時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧してます)
御希望に多少なりとも近づいたでしょうか?
またの再診をお待ちしております。
お心遣いをいただきました
ありがとうございます。 どうか御気を遣わないでください。
2009-01-19