今日は今から遡る事75年前の1933年、国際連盟総会で日本軍の満洲撤退勧告案が採択され日本全権大使・松岡洋右が連盟脱退を宣言し退場 した日です。
後日帰国した松岡は「言うべきことを言ってのけた」「国民の溜飲を下げさせた」初めての外交官として、国民には凱旋将軍のように大歓迎されました。
1919年2月13日国際連盟規約委員会にて当時常任理事国であった日本が提案した
人種あるいは国籍如何(いかん)により法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す と言う条項、いわゆる「人種差別撤廃条項」を廃案した国連に当時の日本人は欧米の抑圧と国連の胡散臭さを感じていたのかもしれません。
また1942年2月24日には、日本海軍の伊17乙型大型潜水艦によるアメリカ本土のカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所へ砲撃が行われた日にもなります。米国が他国の軍隊によって本土が襲われた史上初の日になります。
さて本日ご紹介の患者さんは
私の執刀にて鼻尖縮小術、耳軟骨鼻先移植術、小鼻縮小術をお受けになられた既往のある患者さんです。今回私のブログの2007.12.25の方のお鼻のようにより正面からみた鼻先をさげたいとのことで鼻中隔延長術、および鼻柱をより下げつつ鼻口唇角部のくいこみ感を改善するため鼻柱下降術をお受けになられました。
上段:術前です。
中段:鼻尖縮小術、耳軟骨鼻先移植術をお受けになられて約8ヵ月後再診時、小鼻縮小術をお受けになられて約1ヶ月後再診時です。
下段:今回鼻中隔延長術術後一週間抜糸時です。
(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。)
術後翌日の診察時は問題ありませんでしたが翌々日より鼻柱下降術のために留置したプロテーゼ部の疼痛、発赤を認めたため感染の可能性を疑い緊急抜去を行いました。
抜糸時には痛みは落ち着いています。(最下段で赤く見えるのは主に血のりです。)
私も最善を尽くしたつもりなのですが術後数日で抜去せざるおえない状況になったのは遺憾の極みです。 申し訳ありません。
幸い鼻中隔延長術に用いた移植軟骨は無事なのでこのまま順調な経過であることを祈ります。
先日お心遣いをいただきました。
ありがとうございます。 どうか御気を遣わないで下さい。
2008-02-24