今日は51年前に悲しきジラード事件が起こった日です。
 
1957年年1月30日、群馬県相馬が原で、立ち入り禁止区域のアメリカ軍射撃練習で出る薬莢を拾っていた日本人主婦がいました。当時の日本はまだまだ貧しく射撃演習場ででる鉄くずを拾って生活していた基地周辺の人々が多くいました。彼女の背後からジラード特務二等兵が「ママさん大丈夫?」と呼び寄せ10メートルの距離から発砲し、主婦は即死しました。
 
最初米軍は日米協定をもとに米軍に裁判権があると主張しましたが大東亜戦争敗戦後、虫けらのごとく日本人の命をみなす米兵の諸行為に業を煮やしていた日本の世論は「明白な殺人行為にまで治外法権を認めなければならないのか!」と沸騰しました。
米国に住むジラードの家族が「裁判はアメリカでやるべきだ」と訴えを起こしましたが結局、ジラードは、日本で傷害致死罪で起訴されました。
しかし懲役3年・執行猶予4年の有罪判決を受けただけでした。これに対しては日本の検察側は控訴せず、ジラードは米軍を不名誉除隊した後、日本人女性と結婚し米国に帰国しました。
この主婦の遺族に支払われた米軍からの見舞金はわずか62万円でした。
 
その後も日本の各地で同様の事件はおこり1958年の時点で駐留米軍による日本人の被害件数は正式に届けられたものだけでも9998件にも及んでいます。
 
被占領国家の辛酸は加害国は都合が悪いから、被害国は屈辱のため忘れ去ろうとします。
 
51年前の駐留米軍による狼藉行為の結果一命を失われた坂井なかさんのご冥福をここにお祈りします。
 
 
本日ご紹介の患者さんは鼻尖縮小手術の再手術をお受けになられた患者さんです。
一回目の手術は約1年4ヶ月前に私が執刀しました。
しかしどうしてももっと細くしたいとのことで鼻尖縮小術の再手術と小鼻縮小術をご依頼されました。
 
1列目:術前です。
2列目:初回手術3週間後再診時です。
3列目:術後1年4ヵ月後再手術術前です。
4列目:再手術術後1週間後再診時です。


一列目、2列目、3列目を比較するとおわかりのように術後三週と比較すると一年4ヶ月後には術前程度には戻っていないですが多少の戻りを認めます。
この戻りがあるため多少細めに術直後は形成するのですが細すぎて精神的に耐えられない!という方が必ずでてくるために術前の入念が話し合い(どの程度細くしたいのか? それなりに細くしたい場合は術後6ヶ月細すぎるような状態に耐えることが本当にできるのか?等)が非常に重要になります。
今回はもっと正面からみて細くしたいとのご希望にて鼻尖縮小術再手術に加えて小鼻縮小術も行いました。まだ内出血を認めますが順調な経過です。

2008-01-30

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