今日は1890年 に 和歌山県串本沖でオスマン帝国(トルコ)の軍艦
エルトゥールル号
が遭難した日になります。この遭難により587名が死亡69名が救出されました。その後この生存者達は10月5日に東京の品川湾から出航した日本海軍の「比叡」「金剛」2隻により翌1891年(明治24年)1月2日にオスマン帝国の首都イスタンブルに送り届けられました。
時は流れて1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から48時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって宣言しました。イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かいましたが、どの飛行機も満席で乗ることができませんでした。世界各国は自国民の救出をするために救援機を出しましたが、日本政府は国内法上の問題もあり自衛隊機もだせず、また民間機も送ることができず空港にいた日本人は絶望的状況にありました。  そこに2機のトルコ航空の飛行機が到着しました。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立ちました 。タイムリミットの、1時間15分前のことでした。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかったといわれています。この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られました「
エルトゥールル号
の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、
エルトゥールル号
の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」
本日ご紹介の患者さんは大陰唇縮小術、外陰部脱色治療術をお受けになられた患者さんです。
大陰唇のたるみと色素沈着が気になるとのことで大陰唇縮小術、外陰部脱色治療術をお受けになられました。
左:術前です。                 右 術後です。
術後にものすごく白くなったような見た目ですがこれはフラッシュ光のあたり具合のせいでここまでは肌の色調は実際は変わりません。 しかし大陰唇のたるみもとれ、大陰唇部の黒い色調も改善し順調な経過です。
お心遣いをいただきました。


ありがとうございます。 どうかお気を遣わないでください。

2007-09-16

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