今日は藤井一(はじめ)中尉が1945年5月28日、第45振武特攻隊長として沖縄に出撃した日になります。
藤井一(はじめ)中尉は熊谷陸軍飛行学校にて少年飛行兵に「事あらば敵陣に、敵艦に自爆せよ。自分も必ず行く」と教えていました。
普通、特攻隊の教官は17、8歳の若い少年飛行兵に精神訓話や一般教育、それに先輩の勇姿の講話をして、自らは特攻しないのが通例でした。教え子たちが次々と出撃し帰らぬ人となり、その見送りに耐えられなくなった中尉は「自分も行く」との約束を果たそうと特攻に志願しましたが、妻と幼子がいるという理由で却下されました。2度目の志願も却下されました。それでもあきらめない夫の決意を知った妻は、夫の気持ちに迷いが生じないように生後4ヶ月の赤子と約3歳の子を道連れに入水自殺をしました。3度目には、自分の指を切って血判書を出し、妻子の死からわずか5日後それまで2度も却下されていた嘆願書が航空隊の慣例を破って受理され藤井一(はじめ)中尉の特攻隊入りが決定しました。それから約5ヶ月後の昭和20年5月28日の今日第45振武特攻隊長として沖縄に出撃されました。
今日はまたその1945年5月28日の同日に大日本帝国海軍が人間魚雷「回天」を水中特攻兵器として採用決定した日になります。
この回天を扱った映画として以前のブログでご紹介させていただいた「出口のない海」があります。 是非ご覧ください。
本日ご紹介の患者さんは小鼻肉厚減幅術をお受けになられた患者さんです。
上段:術前です。
下段:術後約2週間再診時です。(写真は患者さんの快諾を得て供覧しています。
小鼻の肉厚が気になるとのことで今回この手術をお受けになられました。(最近オープン法による鼻尖縮小術をおうけになられているため鼻柱部に傷があります)
小鼻の肉厚は小鼻縮小等の手術では改善しないためこの手術の適応となります。
この手術の傷は小鼻の縁にできますが通常は縁のため目立ちません。
まだ腫れがありますが順調な経過です。腫れが落ち着くともっと小鼻の肉厚が細くなります。
2007-05-28